元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

駒ヶ根訓練所を卒業して1年

そういえば先日、

駒ヶ根訓練所を卒業して丁度1年が経過したようです。

 

 

協力隊と縁がなければ来なかったであろう、

長野県駒ヶ根市に協力隊員を要請する訓練所があり、

隊員は語学を含め70日の訓練と共同生活をします。

 

細々と始めたこのブログでは、

カメルーンに来た時点の話に絞っていたため、

訓練生活のお話をする機会がありませんでした。

 

 

初めてのフランス語に触れ、

毎日が新鮮で刺激的。

そして年齢やバックグラウンドの異なる人たちが、一律に同期として共同生活を行い、

時には訓練生同士でカップル成立。

そんな学生に戻ったようなそんな感覚さえ覚えました。

この先こんな不思議な経験は、

中々ないだろうなと今でも思います。

 

 

もちろん色々な価値観を持っている人がいるからこそ、

合わない人や一緒にいて疲れる人ももちろんいます。

また協力隊サイドもそれぞれの個性を尊重する傾向があるため、訓練生はみな我が強く

神経を擦り減らすこともありますが、

これから任国に行き、価値観どころか人種も違う人間と一緒に活動をすることを考えると、

それも含めての訓練だったのかもしれませんね。

 

ですが、個人的には厳しいあの生活に戻りたくないですが、総じて楽しかった。

良い経験だったなと思います。

 

なぜなら同じ同期目線で、

色々な価値観や考え方、意見を交換できる機会が沢山あったから。

特に職種が小学校教育であった自分にとって、

現場経験豊富な人たちのお話を沢山聞くことができました。

 

たしかに今までも現場で活躍する先生の話を

聞く機会はありましたが、

それは先生として語る内容でした。

一方で協力隊同期という立場がフラットになるだけで、

また違った視点から話をされていて、

とても印象に残っています。

 

時にはその話を聞いて、

がっかりすることもありましたが、

ある意味幻想的でないリアルな話だったのかもしれません。

 

教師という1つの閉鎖空間に身を置くことへの

不安を感じた瞬間でもありました。

 

 

協力隊を志す人たちの多くは、

とりあえず海外に出て何かに挑戦したい。

思い切って環境を変えたい。

 

そんな人が多かった印象です。

私もその1人なのでしょうか。

 

現状に満足していない人もいれば、

更なるキャリアアップのためと志高い人、

協力隊参加が夢だった人。

様々な人がいました。

 

つまり協力隊という環境に、

何かしらの期待感を持っているという状態だと思います。

当然JICA側も協力隊の参加経験それ自体に

価値のあるものという言い方をしていました。

 

 

訓練所を卒業して1年。

カメルーンに来てほぼ1年。

1つの結論として浮かんだのは、

ぼくを含め協力隊員の多くは、

協力隊という経験に過度の期待と幻想を

抱きすぎているのかもしれません。

 

ボランティアという枠組み上、

JICAから自身の活動に対する監視や、

評価などありません。

(自己評価やフィードバックからのアドバイスはあります)

 

 

従って全ては自分次第。

 

 

任国で生活し、

受け身の経験を与えられ待ちのようなスタンスでは、

かけがえのない経験どころか、

2年間海外で遊んで暮らしてた。

そう言われても言い返せないのではないでしょうか。

 

 

結局、JICAは場所を提供するだけで

その場所でどんな経験を得るか、

それはその人次第。

 

ぼくは今の経験を次に活かすためにも、

過信や慢心を捨て、

目の前の現場に一生懸命でありたい。

そう帰国まで貫いていきたいです。

 

f:id:kake02:20191217191513j:image