元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

運動会に参加してカメルーンを感じてしまった

先日同期の幼児教育隊員が、

任地で運動会を開催するとのことで、

そのお手伝いに首都からバスで3時間離れた

Eséka (エゼカ)という地域に行ってきました。

 

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ちょうど首都ヤウンデと、

海に面しているドゥアラの中間地点に位置する

エゼカは、ぼくが生活している任地ムフーとは

また違った蒸し暑い気候で、

カメルーンの多様性を感じました。

 

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さて、幼児教育隊員の同期ということで

当日は彼が普段活動している幼稚園4校を

集めての開催でした。

 

当日は子ども約200人にそれぞれの幼稚園の先生、そして保護者や教育事務所の人など

多くの人が集まりました。

 

 

プログラムは下記の通り

 

・開会の挨拶

・国家斉唱、合唱(ふるさと)

短距離走(年中、年長)

・ダンス(年中)

・組体操(年長)

・保護者参加リレー

 

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(写真よく見ると地面コンクリートなんです…)

 

結果的には、

とても盛り上がり子どもや先生が楽しんている

様子が見られてとても良かったです。

 

というのも、

カメルーンでは日本の運動会のような物がなく

また球技大会などあったとしても、

上手な子どもだけが選抜され、

全員参加の行事は残念ながらありません。

 

そういう意味でも、

今回の取り組みはとても意義のある物で、

初めての試みだからこそ事前準備が大変だったと思いますが、

開催したということ自体が非常に意義のある物だと思いました。

 

 

 

しかしそれと同時に、

今回の運動会を客観的な立場から参加させて頂いた身として見えてくる

カメルーンの難しさも感じました。

大きく分類すると3つ。

 

 

1つは資金面。

ボランティアの活動はあくまでもボランティア。

従ってボランティアの活動に拘束力はなく、

教育事務所が従う必要もありません。

 

運動会開催にあたって、

音響設備やテントやイス、

そして子ども1人1人に渡す水とビスケット。

これらの費用を誰が負担するかという話が

開催に向けての最大の壁となります。

 

 

同期に聞いたところ、

任地のレストランや銀行など様々な場所に

手紙を送り資金面の支援を募ったようです。

結果的に1/3弱の資金は集まったそうですが、

それ以外は全額同期の自腹という着地に至ったようです。

 

特に子どもの水とビスケット代が、

全体の半分以上圧迫しており、

本来なら保護者が用意すべきとも思いますが、

保護者1人1人に運動会の意義やその理解を求めるのはそう簡単な話ではないようです。

 

 

 

2つ目は継続性です。

これは1つ目の資金的な部分にも絡んできますが、

結局資金が集まらなければ開催はできず、

1発花火で終わってしまうという懸念です。

 

やはりボランティアはその場限りの存在であり

ボランティアがいなくても継続的に、

運用できる仕組みを根付かせることが、

協力隊において望ましい活動とされています。

 

せっかく日本人ボランティアが頑張っても、

現地の人たちが運動会の意義を理解することなく

「楽しかった」

で終わってしまうのは少々寂しいような気がします。

 

 

 

 

最後の3つ目はモラルです。

こればっかりはカメルーン人の嫌な部分であり

仕方ないところであり、

変えるのが非常に難しいのです。

 

 

運動会が終わった後、

ある園長先生からこんな事を言われました。

 

「今日1日頑張ったからビール奢ってくれ」

 

それを聞いて、

やっぱりそうなるか…

とガッカリした気持ちになりました。

 

先生サイドにとっては、

今回のイベントはあくまでボランティアが企画したもので、

それを俺たちがサポートしてあげた。

だからお礼?対価?を要求するのは正当である。

 

そういう言い分のようです。

 

 

冷静に考えれば、

なぜ今回の運動会を企画したのか考えれば

その答えはすぐにわかるはずです。

 

ボランティア精神でしかも自腹を切ってまで、

子どもや先生のために、

企画をして今後も子どものために継続して欲しい。

そんな願いを込めて長く準備を進めてきた同期の彼の想いをなぜそう簡単に踏みにじることが

できるのか。

 

 

これは先生に限った話ではありません。

 

水とビスケットは子どもたちのために準備した物でした。

百歩譲って、一緒に手伝った先生は受け取っていいでしょう。

しかしなぜ保護者にまで配らなければいけないのでしょう。

 

「これは子どもの分だから渡せないんだ」

そう言うと不貞腐れた顔して、

去っていく保護者。

そして目を盗んで勝手に持ち去る保護者。

 

本当にカメルーンの悪い部分が凝縮された瞬間でした。

 

 

 

しかも案の定、

飲んだ水やビスケットのゴミはその辺にポイ捨てするので、

ボランティアたちで後片付け。

 

帰る教育事務所の人たちを引き留め、

この現状を説明しても、

子どもに拾わせればいいと一蹴。

 

 

 

もっと言いたいことはありますが、

とても語り尽くせないためここまでとします。

 

 

 

これがカメルーン

全体を一括りにして物を言いたくありませんが

ボランティアとして強制力がない中での、

活動や理解促進の難しさを感じました。

 

 

 

任地ムフーに帰り、

運動会の様子をぼくの学校の先生や校長に

伝えたところ、うちでもやってみたい。

そんな声が多かったのですが、

正直同じ想いはしたくないなぁと。

 

 

何はともあれ、

同期お疲れさま!

 

 

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