元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

ことばの壁

今週末はちょっとしたイベントがありました。

カメルーンアメリカ人が主催する

ソフトボールに参加しました。

 

アメリカの海兵隊の方やその家族。

日本側も大使館の職員さんや

JICA関係者の方まで総勢20名規模でした。

 

まさかカメルーンで綺麗な芝の上で、

ソフトボールをするとは!

天気も良好でとても気持ち良く、

張り切った代償として、

暫くは筋肉痛との付き合いが続きそうです。

 

 

さて今回はそんな機会もあり、

飛び交う言語は英語でした。

悲しいかなフランス語で一杯一杯で、

全く英語を使ってないぼくは、

折角の機会でしたが、

アメリカ人の方々と大したコミュニケーションはとれず…

 

どうしても、

隊員同士や日本人同士で固まってしまいがちでした。

 

 

ソフトボールは大盛り上がりでしたし、

充実した楽しい1日でしたが、

どこかで別の感情がありました。

 

 

会場には今回企画をしてくれた、

日本語・英語・フランス語が堪能な方がいました。

 

彼女を見ていると、

同じ時間を過ごしているのに、

ぼくと比較にならないほど

密度の濃い時間を過ごしているな…

そんな憧れを抱きました。

 

密度の濃いというのは、

キャッチする情報量の多さです。

 

今回で言えば、

彼女は英語と日本語を使って、

アメリカ人と日本人両方と

コミュニケーションを取っていました。

 

片やぼくは、

日本語で日本人のみ。

彼女がぼくの倍以上の情報量を得るのは、

当然のこと。

 

その光景が目の前で如実に繰り広げられる現場をみて、

これが「ことばの壁か…」

そんなショックというか、

自分が損をしている気持ちになりました。

 

 

例えが適切かわかりませんが、

「ことばの壁」は、

野菜の詰め放題と似ていると思います。

 

手さげカバンに、

沢山の野菜を詰め込んでいく。

詰め方を工夫したり、

カバンを引っ張ってのばしたり。

そもそも、もっと大きいカバンに詰めるとか。

 

これは日本人的な考えでいくと、

知識を増やしたり、

沢山の経験をしたり、

自分の処理能力を高めたり。

 

一方で「ことばの壁」を越えた、

つまり外国語が堪能な人は、

そもそも詰め放題スタートの時点で、

手さげカバンを複数持っている感じだと思います。

 

 

両者を比較すると、

後者の方が圧倒的に得られる野菜が多い。

つまり得る情報が多いと言えます。

得る情報が多いということは、

それだけ取捨選択できる余地があるし、

選択できる幅も桁違いに変わると言えると思います。

 

 

人は平等に1日24時間という、

制約の中で生きています。

時間という横軸は

どうやっても変えられない以上、

質や密度という縦軸が大きな差を生むそうです。

 

「ことばの壁」というのは、

単純なコミュニケーションの壁ではなく、

得られる情報量の壁であるとも言えると、

今回の件で感じました。

 

 

好奇心旺盛なぼくは、

もしかしたら色々な人とコミュニケーションを

取るための言語取得というよりも、

ぼくと全く価値観やバックグラウンドの異なる

人から得る情報を知ったり感じたりしたいのかな。

そんな風に思いました。

 

 

未知との遭遇に期待と夢を見て、

言語の学習に励んだら、

また違ったモチベーションになるのでしょうか。

 

 

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我が家の壁なら、

簡単に乗り越えられるのに。