元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

圧倒的マイノリティという存在であること

今日で2週間の休暇も終わり、

いよいよ明日からまた学校が再開となります。

 

あっという間の2週間でしたが、

どのように過ごしたらいいのか、

少し悩まされた期間でもありました。

 

 

というのも、

JICAの規則として

任地配属してから2ヶ月間は、

移動自粛期間というものがあります。

 

これはその名の通り、

他の任地に観光目的や他の隊員に会いに、

移動することを自粛しなければならない期間を指します。

 

理由としては、

自分の任地理解に努めたり、

現地のコミュニティ形成を図るなど

あるようです。

(通院や銀行ATM利用のために、首都へ行くのは可)

 

 

従って学校が休みの2週間は、

何もしなければかなりの暇を持て余してしまうわけです。

 

惰性で過ごすのは良くないと考え、

自分に喝を入れて村の散策や

コミュニケーションを積極的に行いました。

 

 

その時思いました。

表題にもあるように、

自分は今この村で

圧倒的マイノリティの存在であることを。

 

 

普通に考えれば当たり前のことですが…

・人種や肌の色が違う

・言葉も違う

・髪型や服装も違う

 

どうしても目立ってしまいます。

しかもここは首都ではなく、

カメルーンの小さな村社会。

 

 

当然よくわからない外国人が外を歩けば、

声を掛けられたり、

じろじろ見られたり、

そんな事は日常茶飯事となるわけです。

 

当然、

絡まれて面倒くさいと感じたり、

フランス語でのコミュニケーションに疲れる。

そんな事が多々あります。

 

 

オーストラリアに住んでいた時と比較しても、

感覚が全く違う印象を受けました。

そもそもオーストラリアでは、

・移民慣れしている国

・都市部に住んでいた外国人が多かった

 

全く現在と違う環境だったので、

当時は自分が外国人という感覚はありましたが、自分が周りから見られるという感覚は

なかったように思いました。

 

 

カメルーンにいる今、

正直、声を掛けられるのは嬉しいですが

ちょっと過干渉な彼らに疲れてしまう時もあります。

あ、家から出るの面倒だから

ご飯1食を抜いてしまおう。

 

そんな怠惰な思考さえ、

芽生えてしまいます。

(これは非常に良くない)

 

 

お世話になった先輩から、

以前こんな事を教えてもらいました。

 

人は家族や会社・学校・社会など、

様々なコミュニティを形成し、

帰属している。

 

今、この言葉の意味を

ぼくは良く理解しています。

 

 

今のぼくは、

協力隊や在カメルーンの日本人、

現地の学校や教育事務所が、

この帰属にあたると思います。

 

カメルーン人から見れば、

急に来た外国人が自分達の村を

闊歩しているのを見て、

どう思っているのかわかりませんが。

 

ぼくとしては、

この村に2年間生活する以上、

彼らのコミュニティに少し介入し、

もっと自分の居場所を見つけ、

帰属意識を持てたらいいなと思います。

 

 

見た目や人種が違う時点で、

カメルーンの社会におけるマイノリティという

現実を変えることはできませんが、

少しでも帰属意識を持てたら、

また違った感じ方ができるのではないかと、

淡い期待を持っています。

 

 

そのためにも、

疲れたら家で休む。

でも休んだら、

外に出て彼らのコミュニティに入る。

これを繰り返して行こうと思います。

 

きっとホームシックなるものは、

この帰属意識を感じ辛く、

コミュニティや社会から疎外されているという

感覚から引き起こるものなのかなと、

今回の件で思いました。

 

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(時系列が異なりますが近所の市場にて)

 

日本にいたら気付かない。

そして移動自粛期間だからこその、

学びだったのかなーと思います。