元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

協力隊の可能性

任地に到着して、

1週間が過ぎようとしています。

 

平日は小学校に訪問し、

授業見学がメインです。

徐々に時間割も決まりつつあり、

日々どんな授業をやろうかと考えています。

 

 

さて、

今回は協力隊の可能性について

考えさせられた出来事があったので、

書いていきたいと思います。

 

 

カメルーンにいると、

肌の色が違う日本人は珍しく、

常に目立ちます。

よく声も掛けられるのですか、

残念ながら大半は中国人に間違えられます。

 

これは色々な方がお話されていますが、

協力隊だけでなく、

海外にいれば多くの方が経験すると思います。

 

カメルーン人の

語学クラスの先生に聞いた話ですが、

カメルーンでは中国人に対して

マイナスのイメージを持っていることが

多いそうです。

 

理由はいくつかあり、

カメルーンの貨幣を中国に持ち帰っている

カメルーンの市場に過度に参入している

(金の採掘を目当てに多くの人が押し寄せた

なんて話も聞きました。)

 

ぼく自身は、

オーストラリアで中国人の方と

一緒にホストファミリーとして

生活してましたし、

中華料理が大好きなので、

偏見はありませんが、

カメルーン人から見たら、

総体的に見て、

マイナスイメージを

持っているとのことでした。

 

 

従って、

カメルーンで外を出歩いていると、

「ニーハオ」や

少し揶揄した言い方で、

「ヒーホー」といったように、

ヘラヘラしながら挨拶してきます。

これが現状です。

 

しかし、

ぼくの任地であるムフーでは、

外を出歩くと、

不思議と「こんにちは」と声を掛ける人が

圧倒的に多いです!

(全てではありません)

 

 

長くなってしまいましたが、

ここからが本題です。

 

ぼくの任地ムフーでは、

過去に教育系の隊員が活動されています。

ぼく自身の案件は6代目であるため、

任期が2年という単純計算をすると

ぼくが来る前に、

10年間ムフーで日本人が協力隊として、

活動していることになります。

 

 

ぼくは感動しました。

日本から遠く離れたアフリカ、カメルーン

「こんにちは」

という挨拶が根付いていること。

そしてしっかり日本人という存在を、

認知していることを。

 

 

協力隊の2年間の活動で、

何かを残したり、

その任地を大きく変えることは

難しいかもしれません。

 

しかし、

ひとりひとりの点の活動を、

次に繋げていくことで、

それは線となり、

少しずつ変えていけるのかもしれません。

 

ぼくは今回の出来事で、

その可能性を感じましたし、

それこそが草の根主義を掲げる、

協力隊の可能性なのではないかと思います。

 

過去の先輩隊員に、

敬意と感謝をしながら、

自分自身の活動も、

その一翼を担えるようになれば、

嬉しいと思います。

 

そして、

そんな考え方も、

任地で頑張る1つの

モチベーションにしようかなと思います!

 

f:id:kake02:20190310163324j:image
f:id:kake02:20190310163334j:image