元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

何もないからこそ

カメルーンの学校は、

日本とは比較にならない程

長期のバカンスがあります。

 

 

その期間は3ヶ月。

 

人生の夏休みとも言われる日本の大学生よりも

遥かに長い休暇期間です。

学校関係者ではなく

団体や企業に属している人でさえ、

8月丸々1ヶ月休暇を取るそうです。

 

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日本ではGW

奇跡の10連休で盛り上がっていたそうですが、

カメルーンからしたら、

たった10連休…

そんな感覚になるのでしょう。

フランスでも長期バカンスは当たり前のようで

やっぱり日本は良くも悪くも独特の文化を

持っているなと実感します。

 

 

 

さてそんな状況なので、

今のぼくには自分の時間がたっぷりあります。

カメルーン内を旅行する

・コツコツ授業準備をする

・本を読んだり家でのんびり過ごす

・語学の勉強に励む

 

 

何かやろうと挙げれば沢山あります。

しかし思うこともあります。

それは学校や活動といったコミュニティー

バカンス期間一時的に閉鎖してしまうため、

カメルーン人とコミュニケーションする機会が

一気に減ってしまうことです。

 

 

振り返れば海外生活していますが、

家に帰れば同僚の日本人がいて、

普通に日本語で会話しています。

毎日、日本のネットニュースを読んでいるため

日本の大まかな出来事は把握しています。

 

首都にある隊員専用のドミトリーに行けば、

誰か他の隊員も当然いて、

その結果、

 

「海外にいるのに日本語ばかり話している」

そんな状況が多々あります。

 

そう、

海外にいても結局は

自分のアイデンティティである日本という

存在を完全に切り離すことは不可能であり、

どこかでそれに依存してしまう自分がいるのも

事実です。

 

 

 

日本人同士で過ごすのが、

悪いという訳では全くありません。

ですが、

せっかく学校や活動が何もないからこそ、

沢山の時間を使って、

もっとカメルーンの人たちと

コミュニケーションを取って

お互い理解し合いたいなぁ。

 

そんな気持ちを、

常に頭の片隅に置いて忘れずにいたいと思います。

 

 

 

そんな思いのお陰で、

嬉しい出来事もありました。

 

授業終わりに帰宅していると、

児童に会い、

大量のアボカドをお裾分けしてもらいました。

 

先日そのお礼をする為、

市場で買った果物を片手に、

その児童の家にふらっと立ち寄りました。

 

周りの家族も暖かく迎えてくれて、

サクッと帰るつもりでしたが、

彼らの畑を見学させてもらったり、

またお土産として大量のアボカドを貰ったり

彼らの優しさに甘えた時間でした。

 

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学校で音楽を教えていると言うと、

「今度ギターを持ってきて!」

と言ってくれたので、

また近々会いに行こうかと思います。

 

片道1時間は掛かるので、

頻度には難しいですが…笑

 

 

せっかくカメルーンに来たなら、

カメルーンでしかできない出会いや経験を

沢山したいものです。

 

これからも、

積極的に歩み寄りたいですね。

環境保全について考えるきっかけ

先日、

首都以外の別の地域に初めて行きました。

 

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自分の任地と色々比較することもできて、

とても面白かったです。

カメルーンの生活を始めて4ヶ月。

まだまだカメルーンのこと全然知らないなぁ。

これをきっかけに、

カメルーンの様々な地域に行ってみたいものです。

 

さて、今回他地域に行った理由は

同期隊員の環境教育活動のお手伝いでした。

 

環境汚染の啓発活動や、

植林活動などに参加しました。

 

環境教育は利益追求主義の社会において、

どうしても後回しにされてしまうこともあり、

地道な活動が大切なのだと感じました。

 

僕自身も環境に関しての知識は、

学校で習った程度のもので、

温暖化や環境汚染など重要な問題だと認識していますが、

規模が大きすぎるが故に、

忘れてしまいがちでした。

 

 

同期の活動は、

6月5日の環境の日に向けて、

地元の環境団体と協力して、

地域住民に啓発活動をするといったものでした。

 

紙にイラストを書いて、

私たちの行動が環境に対して

どのような影響を与え、

どうすれば環境を守れるのか。

 

炎天下の中、

一人一人に説明し、

それを真剣に頷いて聞く様子は、

感慨深いものでした。

 

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どうしてもスケールの大きい話や、

長期的な話はカメルーン人にとってイメージが

難しい懸念もありましたが、

実際いま自分たちにどのような影響や被害が

起きているのか、

自分事で考えさせるようにしていたのが、

聞き入っていた最大の要因なのだと思いました。

 

 

環境も教育も、

すぐには結果や利益が出ない分野。

ある意味先行投資であるとぼくは考えています。

 

それでも腐らずに、

現地の人たちと未来に向けて何か働きかけをすることは、

本当に大切だと今回の訪問で再認識しました。

 

 

ただ全てが美しい世界でないのも事実。

カメルーントップダウンが根強いが故に、

上への示しを重要視しすぎて、

現場が追いついていないことも。

 

つまり上へ示すだけの一過性のもので、

終えてはならないということです。

 

 

カメルーンに来てよく、

「あれ、これは誰のためのものなの?」

そんな疑問を感じることがあります。

 

例えば教育実習生の研究授業。

教育事務所の偉い人達も見学する大切な行事。

この日のために用意をしたと言わんばかりの、

教材や教具を駆使して、

授業をしていました。

 

確かに研究授業は、

実習生のためのものかもしれませんが、

その先には、立派な教師になって

子どもに還元するためであると思います。

それなら、

普段から積極的に子どもたちのために

教材を積極的に活用するのが本来なのでは。

 

 

目的と目標。

言葉は似てるけど

この意味を履き違えないように、

自分自身も気をつけていきたいものです。

 

最近思うこと

昨日は孤児院でお世話になってる人達の

パーティーに参加し、

楽しい1日を過ごしました。

 

思ったより規模が大きく(100人くらい)

カメルーンの文化や人を知る良い機会でした。

余興の時間があり、

みんなの前で日本の曲を演奏する機会も貰えました。

 

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さて、

そんな感じでカメルーンでの生活も4ヶ月が

過ぎるこの頃ですが、

ふと思うことがあります。

 

それは、

「自分の2年間で何を残せるか」です。

活動や生活に慣れてきて、

最近は先のことばかり考えてしまいます。

 

他国で活躍する他の隊員の活動を知り、

少し焦ってみたり。

目に見える成果を欲しがる余り、

試行錯誤したり。

ちょっと自分の中で気持ちの矛盾や、

ベクトルのずれを感じています。

 

きっと今の僕の、

マンパワースタイルの活動に、

自分自身疑問を感じ始めているのかな。

そんなようにも感じます。

 

実際今は僕が授業をして、

現地の先生がそれを見ている。

授業後に現地の先生と振り返ることも無ければ、

何か狙いを伝えたり、聞かれたりするわけでもない。

先生に教授法を示しているというと、

聞こえはいいですが、

実際は先生達の代わりに授業をやっているだけ。

まして教員経験もない僕が、

偉そうに教授法を語ったところでね…

(元も子もない話ですが)

 

 

カメルーンに来て、

毎日楽しくそして学び、

苦戦しながらも

有意義な時間を過ごしていると思います。

でも違和感を感じるのは、

きっと生活に慣れてきて、

余裕が生まれ、

欲が出てきてしまっているからでしょうか。

 

実際日本にいた時には、

カメルーンで爪痕を残してやるとか

何か成果を残していきたい。

そんな気持ちは無かったように思います。

 

そんな自分の気持ちを察して、

今は自身でブレーキをかけ鎮める。

そんな繰り返しです。

 

現状、

現場を見て沢山の課題が見えつつありますが、

まだどれを注力して深掘りするか決まっていません。

だからこそ、

頭では今は情報収集と、実践して体験してみる。

(そしてフランス語力の向上)

 

そうわかっているにも関わらず、

気持ちは焦りと

成果を欲している。

そんな自分に気づきます。

 

 

やりたい事を

好きにやらせて貰える環境なので、

贅沢な悩みなのかもしれませんね。

 

 

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子どもと過ごす時間が1番楽しいです

 

 

 

 

グループワークをやってみたかった

学校の子どもや

先生たちからの認知度も落ち着き、

比較的先生に助けてもらいながら授業をしています。

 

僕は現在、

音楽と体育を中心の時間割で動いています。

個人的に音楽の方が全員参加で好きなので、

音楽には力を入れています。

(体育は体操着忘れが多く見学者が多い)

 

音楽の導入では、

必ず「ドレミ」の音階を取り入れた

アクティビティをしています。

ゆくゆくは、

単音を聞いてどの音かわかる程度になったら

嬉しいなと淡い期待と

夢を見て取り組んでいます。

 

 

カメルーンでは教師主体の講義型が一般的。

グループワークで子ども同士の学び合い、

そんな概念はないようです。

 

そこで今回は、

空き瓶に水を入れて音の変化を感じ取るという

授業をやってみました。

(同期隊員が見学に来たので、

正直、張り切っていました)

 

60人に一人一人空き瓶を用意できないので、

必然的にグループワークという形式の授業に

なりました。

 

 

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結果…

 

 

 

子ども達は楽しんでいた様子でしたが

個人的には失敗でした。

 

 

前述したように、

グループワークは子ども主体で学び合うことを

目的に置いていると、ぼくは考えています。

そのためには、

当然教師サイドで子どもの意見を掘り下げたり

何かに着目させたりする必要があります。

 

 

ここである問題が発生します。

あれ、

子ども達が何言っているのか聞き取れない。

言いたいことがスラスラ出てこないから、

事前準備で言いたいことを紙に纏めて、

読んでいるけど、

それって講義形式と何ら変わらないのでは。

 

そう、

自身の語学力レベルの低さから、

今の自分にはとても子どもの意見を聞いて、

授業を回すようなことは出来ないという事に

今更ながら気付きました。

 

 

結局、音楽の授業の最後に

水を入れたら音がどう変わったか尋ねても、

子ども達から意見は出ず、

先生が答えを言ってしまう始末に。

 

 

今まで講義形式に慣れ親しんだこともあり、

答えがマルかバツのはっきりした問題は、

積極的に答えてくれるけど、

どのように思う(英語でいうhow)の質問は、

かなり弱いと実感しました。

 

 

日常生活をする上では、

そこまで困らない程度にはなった

フランス語も、

授業となると全くの別問題だと思いました。

 

悔しい1日でしたが、

これも糧にしていきたいです。

 

 

ことばの壁

今週末はちょっとしたイベントがありました。

カメルーンアメリカ人が主催する

ソフトボールに参加しました。

 

アメリカの海兵隊の方やその家族。

日本側も大使館の職員さんや

JICA関係者の方まで総勢20名規模でした。

 

まさかカメルーンで綺麗な芝の上で、

ソフトボールをするとは!

天気も良好でとても気持ち良く、

張り切った代償として、

暫くは筋肉痛との付き合いが続きそうです。

 

 

さて今回はそんな機会もあり、

飛び交う言語は英語でした。

悲しいかなフランス語で一杯一杯で、

全く英語を使ってないぼくは、

折角の機会でしたが、

アメリカ人の方々と大したコミュニケーションはとれず…

 

どうしても、

隊員同士や日本人同士で固まってしまいがちでした。

 

 

ソフトボールは大盛り上がりでしたし、

充実した楽しい1日でしたが、

どこかで別の感情がありました。

 

 

会場には今回企画をしてくれた、

日本語・英語・フランス語が堪能な方がいました。

 

彼女を見ていると、

同じ時間を過ごしているのに、

ぼくと比較にならないほど

密度の濃い時間を過ごしているな…

そんな憧れを抱きました。

 

密度の濃いというのは、

キャッチする情報量の多さです。

 

今回で言えば、

彼女は英語と日本語を使って、

アメリカ人と日本人両方と

コミュニケーションを取っていました。

 

片やぼくは、

日本語で日本人のみ。

彼女がぼくの倍以上の情報量を得るのは、

当然のこと。

 

その光景が目の前で如実に繰り広げられる現場をみて、

これが「ことばの壁か…」

そんなショックというか、

自分が損をしている気持ちになりました。

 

 

例えが適切かわかりませんが、

「ことばの壁」は、

野菜の詰め放題と似ていると思います。

 

手さげカバンに、

沢山の野菜を詰め込んでいく。

詰め方を工夫したり、

カバンを引っ張ってのばしたり。

そもそも、もっと大きいカバンに詰めるとか。

 

これは日本人的な考えでいくと、

知識を増やしたり、

沢山の経験をしたり、

自分の処理能力を高めたり。

 

一方で「ことばの壁」を越えた、

つまり外国語が堪能な人は、

そもそも詰め放題スタートの時点で、

手さげカバンを複数持っている感じだと思います。

 

 

両者を比較すると、

後者の方が圧倒的に得られる野菜が多い。

つまり得る情報が多いと言えます。

得る情報が多いということは、

それだけ取捨選択できる余地があるし、

選択できる幅も桁違いに変わると言えると思います。

 

 

人は平等に1日24時間という、

制約の中で生きています。

時間という横軸は

どうやっても変えられない以上、

質や密度という縦軸が大きな差を生むそうです。

 

「ことばの壁」というのは、

単純なコミュニケーションの壁ではなく、

得られる情報量の壁であるとも言えると、

今回の件で感じました。

 

 

好奇心旺盛なぼくは、

もしかしたら色々な人とコミュニケーションを

取るための言語取得というよりも、

ぼくと全く価値観やバックグラウンドの異なる

人から得る情報を知ったり感じたりしたいのかな。

そんな風に思いました。

 

 

未知との遭遇に期待と夢を見て、

言語の学習に励んだら、

また違ったモチベーションになるのでしょうか。

 

 

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我が家の壁なら、

簡単に乗り越えられるのに。

 

 

 

 

 

 

よく飲み、よく学び、よく考えた1週間(2)

※長くなりそうなので、

2つに分けています。

 

 

2つ目。

これは嬉しかった話です。

 

話は遡ること2ヶ月前。

ぼくの部屋には初期装備である家具が、

殆どなく作業机を欲していました。

 

偶然家の近所に個人で家具を作る兄さんがおり、

挨拶する仲が始まりました。

ある日机と椅子を探していることを伝えると、

作れるよとのこと。

 

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デザインやサイズも要望通りで、

大満足でした。

カメルーン人らしく納期はルーズですが、

丁寧な仕事と彼の人柄に好感を持ちました。

 

そこで次のお願いとして、

家の床をフローリングっぽくしたいと相談しました。

 

(Before)

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(After )
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結果これも、期待通り。

いやそれ以上の仕事振りでした。

 

 

前置きが長くなりましたが、

本題はここからです。

 

作業はかなり大変そうで、

家具兄さんと相方の2人がかりで行いました。

(ぼくも少しお手伝いしました)

 

そこで完成したら、

「みんなでビール飲もうぜ。」

そんなお誘いをしてみました。

 

他の人を自分の部屋に入れることには、

かなり抵抗がありましたが、

彼らの人柄ならいいかなと思っての判断でした。

(そもそも床の作業で家には入ってましたが笑)

 

お誘いを快諾した彼らは、

夜仕事終わりに来てくれました。

 

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大した事は出来ませんでしたが、

初めての箸を使っての食事も楽しんでくれた様子。

また酒を飲みながら、

お互いの地元の話や、

日本やカメルーンの音楽についてなど

かなり盛り上がりました。

 

このような経験は初めてだったのですが、

ぼく自身も一歩踏み越んだ甲斐あって、

とても楽しかったです。

お互いの距離が縮まった実感もありました。

 

 

さらに嬉しかったのは、

相手から、

また明日酒を飲もうというお誘いがあったこと。

 

偶然翌日は勤労感謝の日のようで、

祝日とのこと。

というわけで、2日連続で。

 

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(任地ムフーが誇るbana・bane・barにて)

 

今回は個人的に贔屓にしている、

酒屋さんへ。

店主であるママさんも一緒に。

 

この日もとても楽しかったのですが、

それ以上に感動したのが、

家具兄さんの計らいでした。

 

「昨日はご馳走になったから今日は出すよ」

 

教養のないカメルーン人と、

家具兄さんを同じ括りにするのも失礼な話ですが、

普段カメルーン人からは、

金をくれくれと言われ続ける身として、

この言葉は身に染みて嬉しかったです。

 

単純に酒代が浮いたという、

安っぽい感情ではなく、

Give & Take の関係が成り立ち、

躊躇いもなく実行した彼の心意気に感動しました。

 

1本じゃ足りないだろうと、

瓶ビール2本買ってくれたり。

途中で席を外して、

ツマミを買ってきてくれたり。

 

 

上手く言葉で表現するのが難しいですが、

なんか一歩踏み越えたコミュニケーションというか、

現地の人と同じ目線で同じ時間を共有している。

そんな感覚がすごく嬉しく、

居心地が良かったです。

 

ぼくたち日本人の価値観からすると、

当たり前な気もしますが。

 

またこの出来事で、

自分自身がどこか無意識レベルで、

人種や国の違いという線引きをしていた。

そんな後ろめたさも少しありました。

 

もちろん日本にもカメルーンにも、

嫌な人は沢山います。

 

でもそれと逆に、

良い人も沢山います。

 

難しいことですが、

改めて色眼鏡なしに、

その人の本質を見て、

コミュニケーションを取りたいと思いました。

 

 

今回はぼくが少し踏み込んでお誘いしたことが、

きっかけとして素晴らしい体験をさせて貰いました。

こういう人達は、

大切にしたい存在だと思います。

 

 

 

※お互い傷つかないために、

家に呼ぶ際は貴重品の管理を徹底する。

これは日本、カメルーン関係なく必要だと

思います。

ぼく自身も、

自分が嫌な思いをしないため、

そして疑いたくないため、

最低限の予防はしました。

 

よく飲み、よく学び、よく考えた1週間(1)

今週は特に密度の濃い時間だったなぁ。

そんな印象です。

大きく分けると2つ。

 

 

※長くなるので2つに分けます。

 

 

1つ目。

仲良くしていた隣人のカメルーン人が、

突然引越してしまいました。

 

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本当に急で、

本人達も前日に知らされて、

慌てて準備したそうです。

その理由は、

新しく日本人が入居するから空きをつくるため

とのことでした。

 

いや、日本人が来るなんて聞いてないし

間違えじゃないの。

そんなぼくの意見も決定事項の前では、

不毛でした。

 

突然の別れ。

任地へやってきて2ヶ月。

お隣さん家族と農作業やったり、

その子ども達と楽器弾いたり、

やっと仲良くなってきた矢先の事でした。

悲しさと喪失感がありました。

 

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しかし、

今回のような退去は珍しくないそう。

ぼくたち日本人がこのアパートに来る前は、

カメルーン人で埋まっていたそう。

しかし新しい日本人が来ると決まると、

追い出して空き部屋を作るそう。

 

理由は単純。

日本人の方が金払いがいいから。

 

ぼくが住む家の家賃は月額70,000fc(約14,000円)

同じ区画に住む他の2人の隊員も同額です。

しかし今回引越したお隣さんに尋ねたら、

月額25,000fc(約5000円)とのこと。

 

なんと部屋の構造は全く同じにも関わらず、

3倍近く値段が違う。

(価格設定の経緯は不明ですが、

日本人払い過ぎですね……)

 

これを聞いた瞬間、

今回の理由がはっきりわかりました。

 

大家さんもビジネスなので、

当然の選択でしょう。

でも急な話で隣人さんへの同情もあります。

 

このやり場のない気持ちで、

モヤモヤしていました。

 

ですが隣人さんは、

同じ市内なので、

これからもお付き合いは続けられそうです。

 

 

ぼくはカメルーンが、

人生初の一人暮らしでなので、

今回の仕組みは日本でも当たり前なのかわかりませんが、

かなりの衝撃でした。

 

 

夜は良いのか悪いのか、

かなり静かになりました。