元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

痛い立ち位置

この立ち位置が痛いよ

心がずっと痛いよ〜、、、

 

ポルノグラフィティの一節でした。

 

 

 

 

今週は、

学校が2週間休暇にはいる直前ということで、

イレギュラーの連続でした。

 

基本的にカメルーンでは、

約束をすっぽかされることが多々あると

聞いていたので、

自分が担当する授業のある前日に、

担任の先生に「明日はよろしく」と挨拶を

するのを習慣にしてました。

 

 

 

しかし考えが甘かった…

そう、

担任の先生が別件で学校に来ず、

1人で担当する日がありました。

 

結論から言うと、

かなり辛かったです。

自分の非力さを痛感した1日でした。

 

 

 

担当クラスは、

日本で言う小学1年生。

 

朝8時の授業予定で待機をしていましたが、

先生は一向に来る気配がありませんでした。

校長先生に確認しても、

わからないとのことで、

1人でやってくれと頼まれました。

 

 

言われたからにはやるしかないと、

意気込んで臨みましたが、

子どもとのコミュニケーションが取れず、

学級崩壊しました。

 

・指示が通らない

・勝手にどこかに行く

・子ども同士の小競り合いが起きる

・泣く子ども

・体操服忘れたのにコソッと参加しようとする

 

 

当然そんな状態で、

授業ができるわけもなく、

開始10分で体育は無理だと判断し、

先生がいる時に改めようとしました。

 

しかし、

担任の先生はおらず、

隣のクラスの先生が、

フォローに入るわけもなく、

自分が去れば、

子ども達は完全に放置という状況。

 

 

そんな状況を見過ごすこともできず、

結局担任の代わりを務めました。

 

 

子ども達は暇を持て余し、

騒ぎ散らかしている状況のため、

何かやらなければと考え、

日本語を教えることにしました。

 

 

しかし、

・席に座らない

・話を聞かない

・子ども同士の小競り合い

・泣く子ども

 

例えるなら、

動物園。

 

この状況に抗うことができず、

ただぼくは、

教室で天を仰いでいました、、

 

気付くと時計は、

10時を回り、

30分の休み時間に入りました。

 

30分後に再び訪れる恐怖を案じ、

徒歩5分の家に戻って

作戦を立てることにしました。

 

これしかないと手にしたのは、

ウクレレでした。

 

 

 

音楽なら、

・言葉による指示が少なく伝わりやすい

・楽器の音を聞こうと注目を集められる

・知ってる曲があれば一緒に歌えて、

統制が取れる

 

以上の理由でした。

 

 

結果は狙い通り、

初めて見るウクレレとその音色に、

興味を示し、

こちらへの注目を集めることができました。

 

しかし、

当然残り2時間の間が持つわけもなく、

授業とは程遠い独りよがりな

演奏をして終わりました。

 

 

 

 

先生がちゃんと来てくれれば、、

子どもが言うことを聞いてくれれば、、

 

そんな他責にしたい気持ちもありましたが、

結局はしっかり指示を伝えられない、

自分の非力さを痛感せざるを得ませんでした。

 

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放課後の教室が、

いつもよりも静かで広く感じた日でした。

嵐の後の静けさでしょうか。