元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

自己主張の強い子どもたち

生活リズムが戻り、

いつもの日常に戻り、

変わらず子どもたちに授業をしています。

 

今日は子どもの特徴の話。

以前から日本の子どもと比べて、

大きく異なるところが多いと感じていましたが

その中でも特に違いを感じるのが、

子どもたちの主張の強さ。

 

カメルーンの子どもは非常に自己主張や

自己表現が強く、よく言えば逞しく

悪く言えば自己中心的。

そんな印象をしばしば受けます。

 

例えば授業では失敗を恐れず積極的に手をあげたり、

ダンスで喜びを表現するなど、

内向的と言われる日本の子どもとの違いを

強く感じます。

 

逆に自己主張が強いあまり、

相手を尊重するという観点が抜けがちで、

列を並ぶ時は平気で横入りしたり、

嘘をついて恩恵を受けようとしたり、

 

 

よく食いしん坊や食べるのが早い人は、

幼少期の環境に影響があるという話を

聞いたことがありますが、

この違いはやはり環境によるものが多いのでしょうか。

 

日本では「空気も読む」という文化があるように

察して行動するという環境なだけに、

より彼らの自己主張の強さが目につきます。

これはぼくの想像ですが、

カメルーンでは子沢山、兄弟は5人6人は

当たり前の世界。

かといって、子どもを十分に養う経済的レベルが全員あるわけではなく、

それを計算しているわけでもないように思います。

 

従ってその結果、

自分で強い主張をしなければ埋もれてしまう。

そんな環境が家庭内にあるのかもしれません。

 

 

学校だって同じです。

1クラス100人近い人数で運営されているため

完全に集団の中の小さな1人という構造になります。

担任の先生であるにも関わらず、

自分のクラスの子どもの名前を把握していないなんてことはザラです。

 

これらの環境が、

カメルーンの子どもたちの自己主張の強さに

繋がっているのだろうと思います。

 

 

前述したようにその自己主張の強さが、

逞しさでもありながら、

モラルのない自己中心的な人格形成をしてしまう。

当然学校の先生もそんな子どもたちに手を焼くのは当然で、

手っ取り早い手段である体罰という暴力や恐怖によるコントロールをしている。

こんな流れでしょうか。

 

そこにカメルーンとは真逆に位置する

子ども1人1人の個性に着目しながらも、

集団の中の1人としての行動をしっかり教育する。

そんな環境から来た日本人が、

カメルーンの現場で活動する。

 

大きなギャップを感じるのは、

当然のことだと思いました。

 

カメルーンの子どものレベルの低さや、

モラルの無さにため息をつくことも多いですが

しっかり彼らの背景を読み取る努力をする必要が活動をする上で大切なのかもしれないと思います。

 

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