元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

ちょっと足踏み

さて、

先週から新学期が始まりました。

 

何ごとも突然起こるのが、ここカメルーン

仲の良かった先生が突然異動になったり、

クラス編成でバタバタしたりと、

浮き足立った1週間だったような気がします。

 

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昨年度は「とりあえず授業をやってみる」のスタンスで、

音楽と体育を中心に行いました。

今期も自分自身のためにも授業はやっていく予定で、

時間割を作り直しているところです。

 

 

 

しかしここにきて、

自分の中で活動に行き詰まりを感じ始めています。

その原因が自分でも明確にわからないのですが1つあるとすれば、

 

「現場に何を残せるのか」

 

これにとらわれてしまって、

最初の一手が出せていないのだと思います。

 

 

 

協力隊は活動が半年過ぎたあたりから、

活動計画表というものを設計し、

それに基づき活動をしていきます。

 

そして計画に対して進捗がどれほどなのか、

定期的に振り返り、

自身の活動をより充実させ現場に良い効果をもたらす。

そんな狙いがあります。

 

 

実はバカンス中に自分なりに、

何を現場に根付かせ、どうしていきたいか。

考えて設計しました。

しかし、いくら設計をしても現場の先生たちがついてきてくれなければ、

それは協同とは言えません。

 

 

実際、

新学期ぼくは、やる気に満ちて学校に向かいましたが

授業見学を進めていくうちに、

自分の計画と現場との大きなギャップを感じてしまいました。

 

少なくとも自分が授業を行い、

示し続けることで現場に自分の考えが浸透するというような甘い雰囲気ではありませんでした。

 

 

要請には音楽、図工、体育を通した

情操教育の普及とあります。

 

 

ぼくは音楽・図工・体育に拘りすぎているのかもしれません。

 

この1週間、

先生たちと雑談を交えながら温度感を探ると、

重要視しているのは、

①読み

②書き

③計算

でした。

 

教育事務所はもちろんのこと、

現場の先生も頭では情操教育は大切ということは多少なりとも理解しているのだと思います。

 

しかし優先順位をつけると下位。

それが事実のようです。

 

 

せっかく2年間しか時間はないのだから、

自分のやりたいようにやる。

 

一方で少しでも現地に何か良いものをもたらせたい。

 

この2つで葛藤があるのだと思います。

 

 

ぼく自身がもう少し情操教育について理解を深め、

それが現地のニーズの高い何かと結びつける。

 

そうやって相乗効果を見出せたらと、

今では考えています。

 

 

 

フランス語も上達し、

今まで見えなかったものが見えるようになってきたからこその悩みなのかもしれません。

 

 

教科はあくまでも情操教育を伝えるものではなく、

あくまで手段であること。

これを肝に命じて、頑張っていきたいと思います。