元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

任短も選択肢のひとつ

風の噂で、駒ヶ根訓練所時代の同期が

任短を選択し、

帰国するという話を先日聞きました。

 

そもそも任短とは、

任期短縮の略称で本来定められている任期を

途中で終えて日本に帰国することです。

全体の派遣数から何割程度が任短を選択しているのか、

具体的な数字はわかりませんが、

毎隊次一定数はいるようです。

 

その理由は様々で、

・病気や怪我による活動困難

・精神的なものによる活動困難

・治安情勢による活動困難

・私的事由による活動困難

色々あるそうです。

 

正直カメルーンの同期をはじめ、

自分の周りでは任短という話が全くでないため

考えることがありませんでしたが、

70日間関わりが濃いかどうかは別にして、

一緒に過ごした駒ヶ根同期が任短を選択するのはやはり寂しいものです。

 

特にアフリカという自分と近しい環境だったことから尚更残念だと思うばかりです。

 

具体的な任短の理由はわかりませんが、

病気や怪我、治安的な理由ではなく、

個人的な理由のようです。

 

今回は任短の中でも、

個人的な事由によるものを前提に、

話を進めていきます。

 

任期を全うせずに個人的な理由で放棄するのは

無責任という意見もあるかと思いますが、

それぞれ個人の自由であり考え方があるため、

任短というのも選択肢のひとつなのでしょう。

 

 

気持ちは、わからなくありません。

その国に派遣されるために、

仕事を退職(または休職)して協力隊に参加し、その土地の言語や文化を学ぶ。

自分のスキルを活かして、その国の人々に貢献したいという志高い想いを胸に、

70日間の訓練を経てようやくたどり着いた任国。

 

しかし現実は、

隊員のお金を目当てにしたり、

こちらの想いと現地の人の温度差の違いに戸惑い、

場所によってはアジア人差別を受けてしまうことも。

また価値観が現地の人と大きく異なりすぎるか故に、こちらの考え方が理解されなかったり

結果的に相手に裏切られてしまうことも。

 

外を歩けば周りと見た目が違うことで、

周りの人に絡まれたり、

常に周りから見られている意識もあり、

気の休まる場所も少ないとのこと。

人によっては自分の住む地域に日本人は、

自分だけでこの悩みを理解してくれる人が近くにいない。

 

そんな全てが綺麗事で済まない国際協力と目の前の現実とのギャップに大きな疲労と、

苦悩があるのかもしれません。

 

それが協力隊の現実であり、

それを乗り越えた先の何かがある種、

協力隊の魅力なのかもしれません。

 

そんな環境では心を壊してしまう可能性もあるとのことで、

きっと任期短縮という道をJICA側も用意しているのだと思います。

(もちろんJICAは活動の成果よりも、

任期を全うすることに価値があるとよく言っています)

 

だからこそ、

任短の選択は協力隊員の権利でもあり、

救済措置でもあるのです。

 

 

 

ぼくの意見としては、

上に書いたように選択は隊員の自由なので、

外野がとやかく言う問題ではないと思っています。

 

ただ、ぼくは2年の任期を全うしたい。

それだけです。

当然色々な苦悩や不満はあるかと思いますが

それを愚痴ってこんな場所にもういられないっと啖呵を切って日本に帰るほど悲しいものはないとぼくは思います。

 

※人によってはポジティブに、

自分がいなくても現場は上手くいってるし、

もうここに残る必要はない。

そんなポジティブな任短もあるかもしれません。

そんな人には、要請に拘らず

課題を見つけそれに取り組んで見たらどうでしょうか。

そんな風に思ってしまいます。

 

 

そもそもぼくの中にある軸として、

協力隊参加に手を挙げたのは誰だっけ?という話です。

JICAや周りの人からお願いされた訳ではなく、

全員自分が手を挙げ志願したはずです。

冷たい言い方かもしれませんが、

たとえ不遇な待遇を受けたとしても、

それは自分が選択したこと。

自分の決断です。

(自分の母親には特にこの考え方を口酸っぱく言われました)

 

 

しかも、外国人がひょっこり任国に来て

いきなり何かを改革して、

現地の人たちに感謝されるという出来すぎたストーリーなんて殆ど無いんじゃないかと思います。

帰国した先輩隊員たちも何かしらの苦労や苦悩など色々な葛藤の中で戦い、

そしてやり切った。

その結果として、周りに何か貢献したという筋書きの方が圧倒的に多く聞きます。

 

 

隊員として日本を離れる前に、

沢山の先輩隊員の話や、

協力隊に関する話を聞きます。

それを聞いた上で、

自分で選択をしたのだから、

環境や待遇に文句や言い訳をして嘆くよりも、

どうやったら好転させられるかを考えた方が

少しでも次に繋がるとぼくは考えています。

 

 

任国での生活にも慣れ、

当初の新鮮さもなくなった今、

精神的に不安定になりやすい時期なのかもしれませんね。

 

 

改めて自分がなぜここにきたのか。

その想いを大切に、

そして結局は協力隊という物を美化せず、

愚直に目の前の活動に励む。

これが大切だと思います。

 

自分もしっかり最後までやり切りたいので、

気を引き締めて頑張っていきたいです。

 

f:id:kake02:20191201233957j:image

もっぱらの活動

週1更新を心がけブログの更新に努めて参りましたが、

先週は忙しくサボってしまいました。

 

というのも、

今までと活動スタイルが変わり、

現在は今まで活動していた学校に加え、

午後にもう1つ学校を担当することになったからです。

 

 

日本では馴染みがありませんが、

子どもの数に対して学校の数が足りておらず、

1つの校舎を2つの学校が午前と午後で分けて使うということが珍しくありません。

 

自分の気持ち的には、

狭く深く周りの人と活動をしたかったので、

担当学校を増やすのは否定的でしたが、

教育事務所の人たちにお願いされたため、

断りきれず今に至るという感じです。

 

ざっくりしたスケジュールは、

8:00〜14:30 普段の学校

15:00〜17:00 新しい学校

 

というように、

今までと比べて活動の拘束時間が増えたため

中々体力的にハードスケジュールとなっています。

(会社員時代と比べたらそれでも緩い方ですが、、)

 

 

 

ぼくは6代目のボランティアで、

以前にも書いたように普段活動している学校は

JICAに対する理解もあり、

比較的活動がスムーズにスタートしました。

 

一方で新しい学校は、

日本人が活動をした経験がないため、

正直かなりのアウェー感。

アジア人差別や「おい、中国人」と子どもに

小馬鹿にされることが多く、

やれやれと言った感じです。

 

初代のボランティアは、

周りへの認知から始めるとよく耳にしますが

本当にその通りで、

土台を作ることの大変さを感じました。

ここまで協力隊事業が大きくなったのは、

現場で活躍された過去の先輩隊員達であり、

尊敬するばかりです。

 

 

カメルーンに来て半年以上。1年の折り返しも見えてくるにあたり、

気持ち的には飛躍させたい気持ちもありますが、

新しい午後の学校に関しては、

時間をかけて少しずつコミュニケーションを取り、

次に繋がる何かを残していけたら。

そんな風に思っています。

 

これも1つのチャンスと捉え、

前向きに頑張っていきたいですね。

 

 

 

具体的な活動に関しては、

最近は昔話や童話を取り入れた、

国語のような授業を積極的に行なっています。

 

もともと要請は、

音楽・体育・図工を中心とした情操教育の普及でしたが、

体育のニーズは高いのですが、

音楽と図工はさっぱりです。

 

 

要請や教科を尊重して活動をしていくことは

もちろん大切ですが、

先生との恊働した活動を目標に置いているため、

現地のニーズを汲んだ活動をぼくは重視しています。

 

それに、情操教育は音楽・体育・図工だけではなく

全ての教科と紐付けて扱うこともできると

駒ヶ根の訓練期間に教わったこともあり、

その行き着いた先が昔話と童話でした。

 

 

ぼくも子どもの頃はよく昔話を読みましたが、

大人になった今でも改めて読み直すと、

非常に良くできたものだと感心してしまいました。

 

社会で生きていく上での教訓や道徳を、

ストーリー仕立てでわかりやすく解説し、

かつ読み手へ想像を働きかけ、

様々な解釈を可能にします。

 

カメルーンでは子どもが本を読む習慣があるどころか、

そもそも本が無い。

あったとしても貴重なものだから、

値段も高く身近な存在ではありません。

 

だからこそ、

授業での食いつきはかなり良く、

最近は読んだ感想や、

シチュエーションに応じて、

様々な意見を子ども達同士で交換し、

学びを深められるような取り組みをしており、

手応えも感じてきました。

 

 

 

まだまだ活動が軌道に乗ったかわかりませんが、

ニーズに対して自分のやりたい事が見つかり

大変ですが充実した活動を送れています。

 

f:id:kake02:20191124194520j:image
f:id:kake02:20191124194531j:image

 

(テーマはウサギと亀)

 

ここが決定的な違い

カメルーンと日本の教育システムの違いは

沢山ありますが、

カメルーンの学校で活動するからこそ

見えてくる日本と決定的な違いが見えてきます。

そしてそれと同時に、

日本の教育や先生たちは本当に素晴らしいと

思うばかりです。

 

 

その決定的な違いとは、

「子ども主体かどうか」

ここに尽きると思います。

 

 

日本の教育を受けた皆さんは当たり前の感覚ですが、

基本的に子どもが学校にいる間は、

授業を始め子どもの対応を常にするものです。

 

例えば職員会議なども、

子どもが下校してから。

昼食の時間も教師にとっては昼食指導という

1つの時間として扱われています。

 

これは何よりも、

子どもを主体として最優先で動いているからに他ならないと思います。

そして質の高い教育を提供できている理由の1つだと思います。

 

 

一方でカメルーンはどうでしょう。

子どもを主体としてない。

とは言えませんが、

基本的に教員の労働時間を優先しているように私は感じます。

 

例えば、

会議は当然勤務時間中に行うので、

会議の間、子どもたちは自習?

という名の放置。

(しかも会議の後は軽食とビールなどのドリンクを飲んで労を労うというおまけ付き)

 

研究授業で他の教師が1つのクラスに集まる時は、

教師の席を確保するために、

子どもたちをぎゅうぎゅうに詰めて座らせ、

教員のスペースを確保する。

本来はより良い授業をするために、教師の前で授業を行い、

それをフィードバックしながら議論するのが研究授業だと思うのですが、

それ以前に子どもが授業をしっかり受けられるような環境が整っていないという本末転倒な感が否めません。

 

もちろん日本の考え方と、

カメルーンの考え方は当然異なり、

それぞれにメリット・デメリットがあると思います。

 

特に日本では教員の長時間時間が問題に挙げられているため、

教師の疲弊による授業の質低下も懸念されます。

 

 

両極端に位置する日本とカメルーンですが、

どちらも子どもの成長を見守り、

そのために努力するというスタンスは変わらないと思います。

 

例えば、

上記で書いた内容を見るとカメルーンの教師は全然働いていないというように思われますが、

定時の14時半にはきっちり帰宅しても、

家で雑務をこなしているのです。

 

その代わり、

自宅に帰って子どもたちのノートの添削をしたり、授業の指導案を書いたり。

もちろんパソコンなんて一家に1台ではないので手書きが普通です。

 

 

スタンスはどうであれ、

どこの国も先生は忙しいものだと思いました。

 

f:id:kake02:20191112040645j:image

カメルーンは合理的だと思う。豊かさってなに?

カメルーンで生活していても、

カメルーン人を断片的にしか見れないため、

普段どんな生活をしているのか意外と見えないもの。

 

最近は仲良いカメルーン人には、

会話の中でお金の話や、余暇の過ごし方

進路の話や教育のことなど、

互いの国の一般的な話をよくします。

 

日本では見栄もあるでしょうが、

お金の話はうわべで隠しがち。

一方でカメルーンはあっけらかんとした様子で

お金がないと言いながらビールを飲んでいることがしばしば。

カメルーン人の一般的な家計はどういう仕組みになっているのか気になるばかりです。

 

聞いた話だと、

職業にもよりますが、

平均月収は6〜10万フラン(約2万円)

事務所の役職持ちで30万フラン(約6万円)

 

協力隊は各国によって現地生活費の支給額は変わるそうで、

カメルーンだと30万フラン(約6万円)

一般的な水準よりは高いようです。

 

 

しかし、カメルーンに住んでみて

いわゆるアフリカで飢えに苦しんでいるというような危機的な状況の人を見かけたことがありません。

 

もちろん地域によって差があるのかもしれませんが、

カメルーン中央アフリカの中でも比較的豊かであることは統計的にも示されているそうです。

 

自然豊かで野菜や果物は豊富。

石油や木材などの資源も豊富で、輸出の際大きな強みとなっているそうです。

 

 

言葉にして伝えるのが難しいのですが、

最低ラインは超えてきている。

そんなところでしょうか。

 

もちろん安全基準を超えたボロ車が、

人数超過で走っていたり。

アスファルトも穴だらけだったり。

高速道路や鉄道もないため移動に時間がかかるなど。

(正確には鉄道はありますが、旅客用としてはまだまだ普及していないのが現状)

 

f:id:kake02:20191104070417j:image

(早朝と深夜1日2本のみ)

 

日本人目線でみると、

まだまだ開発途上のように思いますが、

意外と現地で生活をしていると、

これでも事足りてしまうものです。

 

言い方を変えると、

人数超過も一度に多くの人を乗せて、

利益を回収したいという背景もあるだろうし、

アスファルトの穴も避けて通ればまだまだ使えるという感覚です。

 

これをみると、

カメルーン人にもそれなりの理由があり、

ある意味理にかなっているように思います。

 

f:id:kake02:20191104070624j:image

 

カメルーンと日本を比較すると、

豊かになるという事は生産性が上がること。

時間という単位に付加価値がプラスαされるようなイメージをぼくは持ち始めました。

 

例えば、

移動という行動は日本もカメルーンも同じですが、

前者は狭い窮屈な車内で移動するか。

後者は空調やクッションが整備された快適な車内で移動する。

又はより早い移動を実現させたり、Wi-Fi完備により移動中も別の作業が可能となる。

 

このように、

移動という行動は同じでも、

それにかかる時間を削減したり、

または移動中に別の作業を可能にすることで時間あたりの生産性を向上させる。

ここに決定的な豊かさのアドバンテージが生じているのだと思いました。

 

もちろん前者後者もどちらも、

目的地に到着するという事実は変わりません。

(安全面など別の要素もありますが行動という点でのみ)

 

従って目的地に到着するまでの過程が、

豊かさによって変わるのではないでしょうか。

 

 

 

似たような例をもう一つ、

日本という括りの中で挙げます。

前者は毎朝通勤ラッシュに耐えながら出社。

後者はタクシーで快適に出社。

 

これも同じで、

結局は目的までの過程の質が大きく異なります。

満員電車よりはタクシー移動の方が当然快適ですし、座ってパソコンで作業しながら移動ができる訳です。

 

 

これを踏まえると、

豊かさの基準ってかなり曖昧で、

これを下回ると命の危険があるという水準は当然あるためそこに対する何らかの働きかけは必要ですが、

その水準を超えた後は、

生産性や質の問題になってくるに尽きると思いました。

 

アフリカは貧しいというイメージが先行しますが、

暮らしてみるとそこには合理的に成立している社会があり、

外野がとやかく言うのは正直大きなお世話のような気もしなくはないように思えます。

 

例えるなら、

ぼくが回転寿司チェーンに行く姿を見て、

大企業の社長が

「いやいや、寿司は江戸前鮨でしょう」

と言っているようなものでしょうか。

 

もちろん江戸前鮨の方が高級な食材を使って美味しいのだと思いますが、

それを知らないぼくにとっては、

回転寿司チェーンでも十分満足。

そんな程度の話です。

 

 

ぼくは日本の生活を知っているので、

カメルーンにはない便利さや、

質の高い物事を知ってしまっているので、

カメルーン人と全く同じ感覚とはいきませんが、、、

 

 

改めてカメルーンに来て、

豊かさって何だろうと常々考えてしまいます。

謙虚になれよ!

ぼくは大学生時代、

ある番組にハマっていました。

 

その名は、

マネーの虎

 

2001年から2004年まで放送されていた、

リアリティ番組で、

金を求めた参加者が、

企業で成功を築いた社長たち(虎)の前で、

自分のビジョンを説明し、

金を出資してもらうという企画です。

 

虎と言われる社長は、

どれも個性派揃いで、

虎と参加者との激論、

そして目の前で現金の束が動く様子が1つの見所として人気を博していたそうです。

 

ぼくはリアルタイムでは見られませんでしたが、大学生時代に知り、

当時すっかりハマっていたのを覚えています。

時には過激な言葉も飛び交い、

印象的なシーンの1つがこの

「謙虚になれよ!」でした。

 

因みにテレビ放送は終了していますが、

当時の虎の1人が、

「令和の虎チャンネル」という同じ趣旨の企画をYouTubeでやっていますので、

興味があればぜひ。

 

令和の虎チャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCTyKZzmKi95wxmCg9rU-j6Q

 

 

さて、そんな懐かしいマネーの虎

ふと想起させる出来事が学校にてありました。

 

結論から言うと、

最近自分に謙虚さという物が足りていなかったのかもしれません。

 

 

カメルーンに来てもうすぐ10ヶ月目。

1年の折り返しも見えつつある今、

同時に活動の成果を求めるが故の、

焦りを感じています。

 

そして私の中での成果とは、

きっと現地の先生たちに何か根付かせる。

ということです。

バカンス前の昨年度末は、

純粋に授業を楽しみ、とりあえずやってみるの精神で取り組んできました。

一方で現在では、色々今まで見えてこなかった部分が見えるようになり、

どうしたら効果的に効率的に自分の目標を達成できるかに拘っているように思います。

 

前回の事務所長とJICAの会議によって、

ほぼ全ての先生たちは自分の授業を手伝ってくれるようになりました。

まだまだ自分の意図を100%把握はしていないだろうけど、

先生の代わりの存在ではないという認識は

浸透したようです。

 

ようやく土俵に乗ったと言ったところでしょうか。

 

 

しかし、ここから自分の技術やノウハウを先生たちに浸透させるのはまた別物。

かなり難しいと感じています。

 

結局、自分のやり方を受け入れるのもそうでないのもその人次第です。

 

一方でこちらとしては、

しっかり先生たちに何かを残して成果を作りたい。

そんな狭間で揺れ、

先生がこちらの思うように動いてくれなかったり理解してくれないことに対する疲労があります。

先生に対する期待値もぼくが勝手に引き上げてるのかもしれません。

 

 

しかし冷静にカメルーンの先生の立場で考えると、ぼくももっと謙虚にならないといけないと思うところもあるのです。

カメルーンでは先生の地位は高く、

それぞれが誇りを持って仕事をしています。

 

当然ぼくよりも教壇経験が豊富なだけあって、

フラッと来た若い日本人が外からガミガミ言っていたら、そりゃ先生たちにとっても面白くないでしょう。

統計的にカメルーンよりも日本は教育水準が高いのは事実ですが、

だからと言ってぼくがカメルーン人の先生たちよりも全てにおいて優れているという訳では当然ありません。

 

そしてカメルーンの先生たちにとっては、

ぼくの成果がどうであるのか関係ありません。

ぼくは少し謙虚さを忘れ、

与えることばかりにとらわれ、

謙虚さを欠いた空回りしていたのかもしれません。

 

 

着実に事が運んではいます。

焦らず、そして自分だけで悩まず

先生たちとお互い学び合い、

その結果子どもたちに何か還元する。

そんなサイクルを回していきたいです。

 

結果は後からついてくると信じて、

今は目の前のことに一生懸命取り組みます。

 

 

f:id:kake02:20191029194117j:image

 

お茶を通して伝えたいもの

時を遡り10月の初旬。

2日に渡り在カメルーン日本大使館が主催する

お茶会にお手伝いとして参加しました。

 

この日のために、

日本から裏千家の先生がカメルーンに直接赴き

来賓の方々にお茶を振舞っていました。

 

 

※因みに、お茶の大きな流派は3つあり

表千家裏千家武者小路千家があり

ぼくは表千家の分派である江戸千家に所属しています。

流派の由来は諸説あるそうですが、

千利休の婿養子の子ども(千宗旦)が、

自身の茶室「今日庵」を建てました。

その「今日庵」から見て表通りに位置するか、

裏通りに位置するかという位置方向で、

今日の三流派の名前が決まったそうです。

 

なので裏千家だから、

怪しげな…

という事は全くなく、

むしろ現在は裏千家が最も規模が大きく、

王道と言われているそうです。

 

 

 

話は戻り大使館主催のお茶会の初日。

大使公邸にて行われました。

来賓の方々は、各国の大使館の方々がメインで

厳格な雰囲気の中行われました。

ぼくは他の有志で集まった同期隊員と一緒に、

裏方で茶碗を片付けなど行いました。

 

f:id:kake02:20191020193829j:image

 

ぼく自身、

他の流派の作法を間近で見るのは初めてで、

特にお茶を点てる際に、

わしゃわしゃ激しく点ててきめ細かい泡を作り出していたのが印象的でした。

 

ぼくの江戸千家とは違うやり方見ていて、

少し抵抗がありましたが、

色々と興味深かったです。

 

 

 

2日目は、

ホテルの大きなホールを借り切って、

一般客向けの開けた会でした。

裏千家の先生が、

お茶の歴史を説明した後、

実際にお点前を披露し、

一通り全員がお茶を堪能した後に、

お茶に関する映画を上映していました。

 

映画はこちら

日日是好日

英語では「Everyday is good day 」と訳していました。

https://eiga.com/amp/movie/88063/

 

f:id:kake02:20191020193954j:image
f:id:kake02:20191020193949j:image

 

 

当日は約100人ほどの人が集まったため、

裏方でお茶を点てたり、

お茶菓子として羊羹を出したり、

お茶碗を下げたり慌ただしく動きました。

 

沢山のメディアや、

日本文化に興味のある方々が来られていて、

日本人として日本文化に興味を持つ人が多く、

嬉しかったです。

 

 

 

そんな2日間のお茶会を終えて、

改めて考えること。

お茶を通して何を伝えたかったのでしょうか。

 

事実として、

お茶は日本の立派な文化ではありますが、

ぼくの同世代でお茶を点てたり、習ったりした事がある人は、

残念ながら多くはありません。

つまり日本人自身もお茶というものが、

何なのか知らないのです。

ぼく自身もまだまだ知らない事だらけです。

 

 

ただ、日本を離れ海外で生活する事で見えてくる日本と他国の文化の違い。

文化の優劣ではなく、

日本ではこのような文化として広く広まっている。

それを紹介する手段としてのお茶なのではないかとぼくは思いました。

 

 

例えば、

日本ではご飯は残さず食べましょうと教わります。

一方で中国では、敢えてご飯を残す場面があるそうです。

なぜなら、満腹で食べきれないほどの接待を受けました。という暗喩が含まれているからそうです。

 

このように、

同じアジアでもこれだけ異なります。

 

 

 

なぜお茶を飲む前に茶碗を回すの?

そんな質問はもはや定番でしょう。

これも理由があり、

お茶碗の正面を避けるためだそうです。

お茶碗には必ず正面があり、

お茶を点てる際に、必ず相手に対して正面を向けてお茶を出します。

これが相手に対する敬意や誠実さと言ったところでしょうか。

 

一方で飲む側は、

その敬意に対して、敬意を示し謙遜のような態度を示すため、

その正面を回して避け、そしてお茶をいただきます。

もちろんお返しする時には、相手に正面を向けます。

 

 

 

このような文化は本当に日本っぽいと思いますし、

他の国でこのような風習があるのでしょうか。

 

(お土産を渡す時、つまらないものですが…

という決まり文句があるほど日本は特殊なように感じます。)

 

 

長くなってしまいましたが、

お茶にはそんな日本の精神が詰まったものなのだと思います。

改めてお茶の魅力に気付きました。

 

少しずつ変わり始めた

活動のお話。

最近はこの前の調整員や事務所長含めた会議の

意義が少しずつ見え始めてきたと感じています。

 

嬉しいことに、

会議の翌日、出席した校長先生たちが

先生を集めて会議の内容をフィールドバックし

改めてボランティアである自分と一緒に授業を作っていくと強調してくれました。

 

そのお陰でもあり、

最近は先生が嫌がる定番の体育も手伝ってくれるようになりました。

(このまま続きますように)

 

 

しかし、

あくまでも一緒に活動をする事が強調されすぎて、

その目的となる先生を通して授業スタイルを普及させるという根の部分までは、

先生たちには落とし込めていない印象なので、

今後もしつこく頑張っていく必要がありそうです。

 

 

また会議によって、

教育事務所の多くの職員に顔が広まり、

また受け入れてくれる体制が整いつつあります。

 

彼らはぼくに対して頻繁に、

「On est ensemble みんなで一緒に」

と言った言葉をかけてくれます。

 

特に事務所長や、

その下の役職持ちの職員のグリップが強くなり、

かなり意見を言いやすい環境になったと個人的には感じています。

 

 

一方で新しい動きとして、

新たに活動先である学校が2校増えました。

自分の本意としては狭く深くを大切にしているので、

当り散らしを懸念して絞った活動をしていましたが、

事務所長やその下の副事務所長のような方の熱望によるものです。

 

従って、新しい学校に関しては

過去の隊員も活動していない場所のため

またゼロからのスタートとなります。

 

しかし特に副事務所長が、

現場の小学校に対してJICAボランティアの存在意義をしっかり伝えてもらっているため、

比較的滑り出しは悪くなさそうです。

 

 

このように、

あの会議によって互いの意見を擦り合わせ、

ようやく同じ目線で活動ができる環境が整いました。

 

正直、

まだこの程度で全く始まっていない状況に

多少の焦りはあるのは事実ですが、

一緒に働くカメルーンの人たちのペースに合わせながら自助努力を促すことが大切なのかな。

そんな風に考えています。

 

 

学校現場の課題は多く、

どれから着手するべきかまだ決まっていません。

 

しかし最近引っかかる悪循環として、

①ぼくが授業をやる

②子どもたちが喜ぶ

③騒いで収拾がつかなくなる

カメルーンの先生が子どもを叩いて黙らせる

⑤静まる

 

そして①に戻る……

 

このサイクルがあるため、

限られた1コマ30分という時間の中で、

自分の授業で狙いとしている部分まで到達できないことが残念ながらほとんどです。

 

平気で嘘をつき、

上手くいかなければクラスメイトを叩く蹴る、

クラスメイトを簡単に売り、

自身の保身を最優先。

 

これが今までまかり通っており、

それを許してしまう環境だったため仕方がありませんが、

日本の子どもと比較しても、

そのあまりの違いに大きなギャップを感じています。

 

 

先生の中には

とても素晴らしい授業や想いを持っている先生が沢山います。

だからこそ、子どものそんな状況を少しでも好転させ、より質の良い環境を整えるお手伝いをしたいと考えています。

 

 

ようやく土俵が整った今、

改めて身を引き締めていきたいです。

 

 

f:id:kake02:20191015012133j:image