元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

ここが決定的な違い

カメルーンと日本の教育システムの違いは

沢山ありますが、

カメルーンの学校で活動するからこそ

見えてくる日本と決定的な違いが見えてきます。

そしてそれと同時に、

日本の教育や先生たちは本当に素晴らしいと

思うばかりです。

 

 

その決定的な違いとは、

「子ども主体かどうか」

ここに尽きると思います。

 

 

日本の教育を受けた皆さんは当たり前の感覚ですが、

基本的に子どもが学校にいる間は、

授業を始め子どもの対応を常にするものです。

 

例えば職員会議なども、

子どもが下校してから。

昼食の時間も教師にとっては昼食指導という

1つの時間として扱われています。

 

これは何よりも、

子どもを主体として最優先で動いているからに他ならないと思います。

そして質の高い教育を提供できている理由の1つだと思います。

 

 

一方でカメルーンはどうでしょう。

子どもを主体としてない。

とは言えませんが、

基本的に教員の労働時間を優先しているように私は感じます。

 

例えば、

会議は当然勤務時間中に行うので、

会議の間、子どもたちは自習?

という名の放置。

(しかも会議の後は軽食とビールなどのドリンクを飲んで労を労うというおまけ付き)

 

研究授業で他の教師が1つのクラスに集まる時は、

教師の席を確保するために、

子どもたちをぎゅうぎゅうに詰めて座らせ、

教員のスペースを確保する。

本来はより良い授業をするために、教師の前で授業を行い、

それをフィードバックしながら議論するのが研究授業だと思うのですが、

それ以前に子どもが授業をしっかり受けられるような環境が整っていないという本末転倒な感が否めません。

 

もちろん日本の考え方と、

カメルーンの考え方は当然異なり、

それぞれにメリット・デメリットがあると思います。

 

特に日本では教員の長時間時間が問題に挙げられているため、

教師の疲弊による授業の質低下も懸念されます。

 

 

両極端に位置する日本とカメルーンですが、

どちらも子どもの成長を見守り、

そのために努力するというスタンスは変わらないと思います。

 

例えば、

上記で書いた内容を見るとカメルーンの教師は全然働いていないというように思われますが、

定時の14時半にはきっちり帰宅しても、

家で雑務をこなしているのです。

 

その代わり、

自宅に帰って子どもたちのノートの添削をしたり、授業の指導案を書いたり。

もちろんパソコンなんて一家に1台ではないので手書きが普通です。

 

 

スタンスはどうであれ、

どこの国も先生は忙しいものだと思いました。

 

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