元営業マン、カメルーンで教師になる

1994年26歳 求人広告/営業・ライター業務を経て退職。青年海外協力隊員としてカメルーンの小学校に勤務。充実した活動をアピールするよりも、現場経験のない自分が体当たりでどこまでやれるのか、そしてその中で感じた素直な気持ちを書いていきたいと思います。趣味はお茶と登山。

訓練所生活~ストイック語学訓練①~

今回から3回に分けて、

駒ヶ根訓練所時代の語学訓練について深堀していきます。

 

これは語学の勉強をする人の中では、

聞いたことのある話かもしれませんが、

JICAの語学訓練は、

「日本一の語学学校」とも言われています。

 

 

※前提として・・・

ぼくはフランス語クラスだったので、

他の言語や先生によって、

授業の進め方など異なると思います。

あくまでも一例として捉えて頂ければ幸いです。

 

(因みにフランス語はかなり難しくストイックだと言われています、、)

 

 

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目次

 

日本一の語学学校と言われる理由

なぜJICAの語学訓練のプログラムは、

日本一の語学学校だと言われているのか。

 

・授業を担当する先生は指導のプロフェッショナル。

・短期集中で学ぶことができる。

・同じ志を持った仲間と一緒に学び、切磋琢磨できる。

 

もちろん上記は数ある理由の1つだと思います。

しかしぼくが考える最大の理由、

 

それは、

70日間の訓練期間中に習得しなければならないという焦り。

これに尽きると思います。

 

 

どんなに良い環境や先生が揃っても、

語学を学ぶのはその人本人です。

そして70日の訓練を終えた暁には、

日本語が全く通用しない国にそれぞれ派遣されます。

 

ぼく自身は語学に対するモチベーションよりも、

話せるようにならないとやばい!!

 

この危機感こそ、

70日間継続して勉強できた最大の要因です。

 

また次回以降で詳しく説明しますが、

毎週土曜日は確認テスト。

テスト結果はすべてJICAで管理され、

60点を下回ると赤点となり、

それが続くと呼び出しや外出制限。

もっと酷ければ訓練所強制退所という恐ろしいものまで。

 

 

 

カリキュラムとクラス編成

 訓練所生活は、

月~土曜日までフル稼働で、

日曜日のみ終日休みとなっています。

 

基本的に下記が授業やそれ以外の講座など、

稼働時間です。

(訓練所1日の流れは別の機会に)

 

8:45~11:40

お昼休憩

13:00~17:00

 

だいたい語学は朝から15時前まで行い、

その後語学以外の座学を受けるような流れだったと思います。

 

 

語学訓練の基本方針は、

少人数クラスです。

 

ぼくたちの隊次でフランス語を学ぶ隊員は約20名で、

4クラス+1クラス(シニア隊員)でした。

 

※現在はシニアも同様ですが、

当時は35日間であったため、

シニアは別カリキュラムで進んでいました。

 

クラス編成にあたっては、

訓練開始前にeラーニングでフランス語の初歩を勉強する必要があり、

初回はクラス編成テストが行われました。

 

内容は筆記と口頭試験。

どれもeラーニングの内容から出題されました。

 

筆記は簡単な記述と選択式両方で、

曜日や月、数字や簡単な挨拶などコミュニケーション。

そしてフランス語で自己紹介文を書くなどだったと記憶しています。

 

口頭試験は、

面接官役の先生2名に質問され、

それに答えていく内容でした。

 

 

因みにぼくは、

ぼくは「着席してください」の一言が理解できず、

空白の数秒を体験しました。

 

  

ぼくのクラス

クラスは自分を含めた4人で、

先生はアフリカのコンゴ出身日本在住で日本語ペラペラの先生でした。

噂ではぼくのクラスは最下層クラスで、

ここから頑張ろうと励まされました・・・

 

ですが今でも親切熱心に教えてくれた彼には感謝しており、

彼のクラスで本当に良かったと思っています。

たまにメールのやり取りをするほど仲が良いです。

 

 

カリキュラムの中で、

基本的な抑えるべき内容は決められているそうですが、

担当の先生に裁量があるようで、

授業の進捗具合や、やり方はバラバラのようです。 

 

例えば授業中は日本語一切禁止と掲げ、

授業もすべてフランス語で行う先生もいる一方で、

ぼくのクラスは日本語でまずは基礎をしっかり固める方針のため、

後にある中間試験までは授業の8割は日本語でした。

 

 

 

 

授業の内容と雰囲気

・暗記(単語、文法)

・リスニング

・スピーチ

・日記

・ディスカッション

 

 

ぼくのクラスの授業では、

内容はかなり地味だったと思います。

 

発音の練習に3時間費やしたり、

基礎文法を講義形式でひたすらインプット。

課題で出される動詞や形容詞の一覧表を渡され、

次の日まで暗記してテスト。

 

とにかくインプット重視でした。

 

次第に文法を覚えて使える表現が増えると、

毎日1日の出来事をフランス語で日記をつけるということもやりました。

 

 

とにかく覚えることが多く、

授業についていくのに必死でしたが、

少人数制であるためそれぞれの進捗に合わせて授業を進めてもらい、

また質問しやすい環境だったのも今となってはフランス語の伸びにつながったと

思っています。

 

中間テストが終わり、

語学訓練後半からは、

授業はフランス語で進められるようになり、

またアウトプットの機会として週2回のスピーチやディベートなど

より実践的な内容に変わりました。

 

 

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自習

授業が終わり夕食が18時。

そこから消灯の22時までは自習時間でした。

 

もちろん時間の使い方は自由で、

体育館で運動したり、

隊員の得意分野を生かした自主的な講座を開いたり。

(PCスキル、環境、ダンス、マーケティングなど様々)

 

ぼくたちフランス語の場合は、

初めてフランス語を学ぶという人が多かったため、

またその日に知識を定着させないと翌日の授業についていけない。

そんなこともあり、ほとんどの隊員は授業を受けている教室で自習をしていました。

 

ぼく自身は授業時間も含め、

毎日8時間は勉強していたと思います。

 

正直継続は得意な方ではありませんでしたが、

やらざるを得ない環境と、

周りにいる同期隊員の支えでみんなで乗り越えた期間だったと思います。

 

 

日曜日は終日授業はありませんでしたが、

教室は解放されているため、

用事を済ませた後に教室に戻り、

勉強をするという隊員が多くいました。

 

 

まとめ

以上ストイック語学訓練①でした。

今までここまで語学に対して目的意識を持って行動する経験が

ありませんでした。

 

それをやりきらせる環境、

そしてその先にある現地の人々とコミュニケーションをとって

彼らに貢献する。

そんなそれぞれの強い思いがあるからこそ成り立つ環境なのかもしれません。

 

語学は情報伝達手段。

それを使って何をしたいのか。

常々考えさせられました。

 

次回は、

試験をはじめ

授業以外に語学に関するイベントがカリキュラムに組まれていたため

その話をしたいと思います。

 

協力隊や語学に関して知りたい内容があれば、

その部分にも触れたいと思います。 

 

 

訓練所生活〜はじまり〜

ぼくは2018年度3次隊として、

10月初旬から青年海外協力隊員になるために

長野県駒ヶ根市にある施設で70日間の訓練を

受けました。

 

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青年海外協力隊のプロセスはこちら。

 

・書類選考

・面接試験

・合格通知(同時に派遣国と時期の確定)

・web講座受講

・技術補完研修(該当者)

・訓練所入所

・訓練所退所

 

これらのプロセスを約1年間かけてこなしていきます。

 

※試験のなどはまた別の機会で

 

 

ぼくの場合は、

2017年の10月に書類を提出し、

通過して面接をしたのが翌年2018年の1月。

格通知を受け取ったのが3月でした。

 

 

 

そして最大の山場が、

このJICAが用意した70日間の訓練プログラムを受けその訓練を終えてたら、

晴れて青年海外協力隊員になります。

 

「研修」ではなく「訓練」という言い方を

敢えてしているのは、

公人として途上国に派遣されるための

心・技・体の資質を備えるためであるからです。

 

その内容は、

それぞれの派遣国の語学訓練をはじめ、

国際コミュニケーション力や、

感染症予防などの座学、

そして駒ヶ根市の人たちと共同プロジェクトを

進行させるなど実技など、

そのプログラムは多岐に渡ります。

 

 

訓練が始まる初日、

訓練所の講堂に集まった3次隊は約150名。

年齢やバックグラウンドがバラバラな大人が

今日から屋根の1つ下で集団生活をするという

楽しみ・不安・期待など色々な感情が

入り混じった緊張感のある初日でした。

 

これが、

70日後の訓練終了式には多くの人が、

感情を爆発させて涙する。

今振り返ってもあの時間は毎日が濃く、

2度と味わうことができない不思議な空間であったように思います。

 

 

 

さて訓練の中身ですが、

70日間をざっくりと並べると下記のようになります。

 

 

↓ 訓練所入所

↓語学力クラス分けテスト

↓生活班との顔合わせ

↓語学と座学のスタート

↓中間試験

↓シニア隊員の退所式

(現在はシニアも70日)

駒ヶ根市地域実践プログラム

↓語学交流プログラム

↓期末試験

↓訓練所退所式

 

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しかしその割合の殆どが、

語学に割かれており、

中学英語の3年間の授業時間に相当する

時間数を70日間でこなすというハードなものです。

 

特に英語以外の言語は初学者がほとんど。

フランス語・スペイン語以外に

ネパール語ウズベク語など現地語を、

現地で活動できるレベルにまで引き上げるため

これだけのウエイトが割かれているようです。

 

 

 

次回は語学について、

数回に分けて深掘りしていきます。

 

 

引き続き、

宜しくお願いします。

カメルーンのいま

たまにテレビを見ると、

内容はコロナウィルスの内容ばかり。

 

外出自粛はいつまでつづくのか。

中小企業が経営困難に陥り今後どうなるのか。

学校再開はいつなのか。

 

解決しなければならない問題は、

山のようにあり、

今後の先行き心配されます。

そしてぼく自身も、

本当にカメルーンに戻ることができるのでしょうか。

自分の先行きもわからず不安に感じている協力隊員は多いのではないでしょうか。

 

 

さて、今日は現時点でのカメルーンの動きと、

同僚から聞いた話をまとめたいと思います。

 

 

まずは数字から(4月30日時点)

 

【感染者数】

・死亡者数合計

61名(致死率2.9%)

・感染者合計

2,069名

・回復者合計

934名

 

因みに日本は本日5月3日時点で、

【感染者数】

・死亡者数合計

517名(致死率3.4%)

・感染者合計

14,877名

・回復者合計

3,981名

 

 

ぼくが気になったのは、

致死率の部分です。

カメルーンは医療体制が万全ではないとのことで、

感染リスクを考え、ぼくたちは一時帰国となりました。

 

しか数字で見ると、

医療体制が整っている日本のほうが致死率が高い。

 

日本のほうが高齢者の割合が高いため重症化しやすい?

カメルーンの人たちは日本人よりも免疫が強い?

そもそもカメルーン政府が出した数字が正確ではない?

 

詳しいことはわかりませんが、

客観的な数字からカメルーンの現状を見ることができました。

 

 

 

次に現場の声として、

学校関係者から話を聞きました。

端的にまとめると以下の通りです。

 

・学校再開は学年ごとにわかれ、

入学と卒業を控える1年生と6年生の再開が6月30日

それ以外の学年は7月から8月にかけて順次再開を目指す

 

・現在教員は学校閉鎖中のため仕事なし

一方で教育事務所は休みなしでフル稼働で働いている

 

・公共交通機関に乗車の際はマスクの着用が必須

 

・各種税金の免除など

 

特に懸念されるのは学校の再開時期でしょう。

カメルーンではフランスの教育システムに影響を受けていることもあり、

9月入学6月卒業となり、

6月末~8月末までの3か月間がバカンスといわれる

長期休みになります。

 

まだ正確なことはわからないようですが、

同僚の話だと3か月のバカンスを無くし、

そこで遅れを取り戻す可能性もあるようです。

 

特に気がかりなのは、

小学校→中学校のような卒業と入学が控える

最終学年の子どもです。

小学校では卒業するための共通試験が2回あり、

それが中学校への入学に大きくかかわってきます。

 

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ちょうど1回目の試験が3月上旬に行われたばかりで、

その成績処理をしている期間中にコロナによる学校閉鎖となってしまったため

計画が頓挫してしまっているようです。

現場の先生も今は出勤を全くしておらず、

特に在宅のようなシステムもないため完全に止まっています。

 

一方で教育事務所は日々変わる状況に柔軟に対応すべく、

毎日危険を承知で事務所に出勤し、

今後の計画や首都の省庁から降りてくる内容現場の先生に広報する作業に追われているようです。

 

 

日本もそうですが、

在宅できる職種もあれば、

在宅できない職種もあり、

さらに事業が機能しない職種もあります。

そしてそんな中最前線で終息に向けて仕事をしている医療従事者の方々。

 

 

 

「世界は誰かの仕事でできている」という

缶コーヒー、ジョージアのCMにありましたが、

今は、その世界が1人1人の行動に掛かっている。

そう思いました。

 

 

 

 

 

※蛇足

週2回と宣言していたにもかかわらず、

最近ブログの更新を疎かにしていました。

 

理由はネタ不足、、、

 

今のぼくの生活は、

部屋とリビングの往復で完結しており、

靴を履かない生活になりました。

 

毎日に変化がないため、

ブログの継続に困っていましたが、

せっかくの機会なので、

今後はより深く訓練所時代と、

今までの約1年の活動を振り返る内容にしたいと思います。

 

宜しくお願いします。

 

 

 

誘惑による搾取

カメルーンのホテル生活と、

日本の自宅隔離期間を含めた4週間の隔離生活が終わりました。

 

過ぎてしまえばあっという間でしたが、

いざ引きこもるとなると、それは退屈との戦いでもありました。

 

煌びやかな日本生活満喫計画は数日で終わり、

次第に曜日感覚がなくなり、

日々に変化がなく刺激がない。

そして無駄を過ごしているような気がして自己嫌悪。

こんなループに陥ることもありました。

 

会社員時代は毎日休日が欲しいと考えてばかりでしたが、

実際に何もすることがなく時間だけがある状態では、

人は腐っていくのだろうと痛感しました。

 

 

そんな環境だからこそ、

しっかり自制して生活を送ることが大事だと考え、

カメルーンの時から続けていたフランス語の勉強や読書を

継続していました。

 

 

そんな時に誘惑になるのが、

・テレビ

SNS

・映画アプリ

 

これらは非常に強力な誘惑でした。

 

 

振り返るとカメルーンの時は、

我が家にテレビは無く、

ネットもWi-Fiがなかったため、

ネットはありましたが(回線は早くない)

常に1日の容量を気にしながらの生活でした。

 

従って、自分の気持ちとしては

娯楽があれば満喫したいけど、

「無いから仕方ない」という環境だからこそ

継続して習慣化できていたのかもしれません。

 

 

本当に娯楽は時間を忘れて楽しめるものであり、

それを狙って作られているが故に、

強烈な誘惑による時間泥棒でもあると感じました。

 

 

例えば、

世の中の社会人の多くは全く勉強や自己研鑽をしていないようです。

これは、ぼく自身もそうでした。

 

朝は家を出る時間ギリギリまで寝た後に出勤し、

帰宅するのは夜20,21時くらい。

帰ったらとりあえずテレビを見ながら遅めの夕食を食べ、

風呂に入ってベッドにたどり着くころには、

日付越える前あたり。

 

そしてベッドに入りながら、

だらだらSNSYoutube、ネットサーフィンをして寝る。

これを月~金の繰り返し。

そんな感じでした。

 

今こうして書いて、

客観的にみると、

ぼくの勉強時間は本当にゼロでした。

 

仕事がたくさんある。

疲れて何もやる気が起きない。

そんなことを当時は言ってたのかもしれません。

 

 

 

何かを変えるには、

環境から変えるべき!

そんな言葉が格言として出回っているような気がしますが、

本当に環境というのは大きいと体験しているからこそ、

尚更強く実感します。

 

もちろん環境が変わらずとも、

変えていける強い人もいるかもしれませんが、

大半は前者なんじゃないかと思っています。

 

 

 

 

STAY HOMEが叫ばれ続けている現在、

以前と置かれている環境が大きく変わりました。

 

この状況がすぐに終息すると考えづらいため、

必然的に家での過ごし方はとても大切になってくるのだと思います。

 

そんな時、

もしせっかくの時間を無駄にしたくないという気持ちがあるのであれば、

ちょっと時間泥棒と距離を置くことからはじめると、

いいのかもしれません。

 

 

 

これがぼくが隔離期間で感じたことです。

 

 

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彼が目を光らせて

ぼくの監視してくれることでしょう

 

 

家電のある生活からカメルーンに想いを馳せる

日本へ帰国してもうすぐ2週間が経とうとしています。

自宅隔離期間である前に、

緊急事態宣言の発令などとても気軽に外出できる状況ではないため、

今は気兼ねなく自宅で引きこもり生活に勤しむ毎日です。

 

のんびり過ごすのが許されたのは数日程度で、

それ以降は家事を行う人員としてカウントされています。

家に一日中いるため、その期待は当然ではありますよね、、、

 

 

振り返ると、

ぼくは今まで積極的に家事の手伝いをできていなかった。

そう自覚しています。

 

カメルーンに派遣される前の70日間を、

長野県の駒ヶ根訓練所で共同生活をしていた時には、

初めて洗濯機を自分で回す場面に出会い、

洗濯機の設定や洗剤と柔軟剤の適切な分量を同期の隊員に

恥を忍んで教えてもらったくらいです、、、

 

 

そんな文明の利器がフル装備された日本から一転、

カメルーンでの生活はガラッと変わり、

家事に対する見方が変わりました。

 

 

ぼくが生活していた家には、

当然ながら食洗器や掃除機、洗濯機などはありませんでした。

 

そのため、

家事1つあたりにかかる時間がとても長いのです。

 

 

例えば洗濯をするとなると、

 

・桶に水をためる(断水中は井戸水か貯水を利用)

・石鹸や洗剤で手もみ

・複数回ゆすぐ

・絞って水気を抜く

・干す

 

この5工程をすべて手作業でやりました。

1人暮らしのため洗濯は週に1度まとめて行っていましたが、

それでも衣類は多くないので約1時間程度。

 

 

しかし例えば、

ぼくの近所のカメルーン人は子どもが多く大家族のため

7,8人の衣類をお母さんが地道に洗濯しています。

きっと量も膨大にあることから、

平気で3,4時間は洗濯をしています。

(おしゃべりしながらの、ながら作業ということもありますが)

 

そして干場は多くないため、

周りの草木の上に置いて自然乾燥させる大胆さ。

 

 

別の例として料理の場合。

カメルーンではガス管をつないでコンロを使った調理も可能ですが、

ほとんどの過程でコンロを持ちながらも、

野外で薪を燃やして調理をしています。

 

その理由は、

ガス管よりも薪のほうがより経済的だからだそうです。

確かに薪であれば、

周辺の山からいくらでも調達可能であり、

理には適っていると思います。

 

しかし、薪を使った調理のため

火を焚いてから調理をするまでそれなりの時間を要し、

さらに鍋で煮込む系の料理が多いカメルーンでは、

尚更調理時間が長い。

平気で3時間は調理をしています。

 

 

 

このように、

カメルーンでは、

1日のうち家事に従事する時間が長く、

それだけで1日が終わるように思えます。

 

そのため子ども達は家事において、

貴重なお手伝い要員として重要なや役割を担っており、

料理や洗濯手伝い以外に、

母親が手が離せない間の兄弟の面倒から畑の野菜収穫など

その仕事は多岐にわたります。

 

 

 

ぼくはその時代を見たことがないのですが、

歴史の教科書を見ると三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が

登場する1950年代前は、

これと似たような生活が日本でも行われていたと聞きます。

 

 

日本はこの三種の神器によって、

ライフスタイルが変化し、

それによってまた新たな需要と供給が生まれ、

経済が発展しました。

 

そう考えると、

カメルーンも近い未来、

洗濯機を使い時間当たりの生産性が向上し、

浮いた時間をまた何か別の新しいことに使われるかもしれません。

 

 

カメルーンでは既にカラーテレビ・冷蔵庫・洗濯機はありますが

冷蔵庫と洗濯機は一般家庭にとっては高価で

まだ馴染みが薄い物のようです。

 

 

 

お手伝いで勉強時間の確保が難しかった子どもたちも、

変わるかもしれません。

そんな期待感すらうっすらと感じてしまします。

 

 

経済が豊かになるということは、

生活の質が向上することであり、

それは時間当たりの生産性の向上でもあるということでしょうか。

 

 

 

そんなことを思いながら、

今日も考えなしに洗濯機に衣類を放り込み、

空いた時間を怠惰に過ごす1日でした。

 

 

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語学力向上どころか維持も危うい

日本へ帰国して5日、6日程度経過しました。

隔離生活によって、

変わり映えのない日々ではありますが、

そんなことも言ってられない状況が

世界で起きている以上、

今は1人1人が責任と節度ある

行動が求められていると思います。

 

 

さて、

本日は久しぶりの語学の話。

 

 

ぼくは自分が意志が強い方だとは思っていないのですが、

カメルーンにいる間は、

以前掲載した記事のように、

1日の流れが自然と決まっており、

それが習慣化されていました。

 

blog.hatena.ne.jp

 

語学の勉強も同様で、

フランス語圏にいるから生活していれば、

自然と身に付くという幻想から覚めて以降、

毎日2~3時間程度継続できていました。

やはりやらざるを得ない環境の中では、

人は強くなるものだと実感しました。

 

(それ以上に娯楽がなく暇だから勉強をするという要因もあるかと思います。)

 

 

語学の勉強も自習以外に、

実は昨年10月頃からinstitut françaisにも

週1回のレッスンを受けていました。

レッスンを受講した理由はいくつかありますが

 

・首都のinstitut françaisまで通える範囲だった

・毎月支給された生活費が余ったため有効活用したかった

・自分のフランス語を添削してほしかった

 

以上が主だった理由でした。

 

 

本当はグループレッスンで周りの刺激を受けながら、

楽しく学びたかったのですが、

月~金までは任地で活動があるため、

週末の土曜日しか選択肢がありませんでした。

 

因みに、ぼくの先生はカメルーン人女性ですが

普段任地で過ごすカメルーン人とは失礼ながら全く違い、

時間厳守でとても面倒見がいい先生で最初は驚きました!

(日本では当たり前の感覚が当たり前ではないということです、、)

 

 

そんな環境に身を置いていたからこそ、

楽しく、そして時には自分の拙い語学力に、

無力感を感じながら今日まで至りました。

 

 

しかし、

日本にいるとやはり、

圧倒的にフランス語を使う機会が減ってしまいました。

もちろん今でもカメルーンの友人や同僚の先生とは

メッセージのやり取りをしていますが、

話し相手がほしいのが正直なところです。

 

まして、今は外出自粛のご時世

対面でのコミュニケーションは遠慮すべきことも自覚しております。

 

 

その結果、

悲しいことに今までの学習習慣が乱れ、

サボる日が目に付くようになってしまいました。

 

 

このままでは、

語学力向上どころか維持も危うい状況です。

 

 

ということで、

何か目標を立て、

自分の成長を可視化したいという想いに駆られ

今回DELFの試験を受けることに決めました。

 

DELF・DALF とは、

フランス国民教育省が認定した唯一の公式フランス語資格(ディプロム)で、一度取得すれば無期限有効です。自分の フランス語の能力や知識を証明書として形にすることができます。

 

欧州言語共通参照枠等級

DELF / DALF

言語使用者

 

学習時間の目安

C2

DALF C2

熟達した言語使用者

熟練

1000時間以上

C1

DALF C1

自主的運用

800-950時間

B2

DELF B2

自立した言語使用者

上級

550-650時間

B1

DELF B1

中級

350-400時間

A2

DELF A2

基礎段階の言語使用者

初級

150-200時間

A1

DELF A1

入門

60-100時間

 

 

 

実はこれまで受けたいとは思いつつ、

タイミングを逃しており、

ちょうど一時帰国が終わる前のタイミングで、

日程を確認し、

後は支払いだけの段階まで自分の決意は固まっていました。

 

日本では6月頭にあるとのことで、

それまで日本に滞在するのか、

またはコロナで試験どころの話ではないのか。

 

 

先が見えない状況ではありますが、

カメルーンで受けるタイミングを失い、

ダラダラと過ごすのも勿体ないような気がするので、

まずはチャレンジという気持ちで取り組もうと思います。

 

とりあえずB1から始めてみます!

 

 

 

 

 

 

 

家帰ったら1匹増えてた。

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日本に帰国しました

日本時間の4月1日に、

成田空港へ到着し帰国することができました。

 

 

突如JICAから一時帰国が言い渡されてから、

任地を離れ、

都ホテルでの待機生活など2週間の出来事でした。

 

こうして無事に帰国できたのも、

相次ぐ不測の事態に柔軟に対応して頂いたJICAをはじめ多くの方々のおかげでした。

空港から自宅までは、

公共交通機関を使わない方針から父親がわざわざ迎えにきてくれました。

 

本当に皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

今後の予定は、

14日間自宅にて隔離生活を行います。

限りなくコロナを持っている可能性は低いですが、

空港など人の出入りが多い場所を経由したこともあり、

可能性を考えてのJICAの方針です。

 

これは帰国した全協力隊に課されており、

公共交通機関を使って自宅へ戻ることが難しい隊員は、

JICA手配のホテルや施設に隔離されます。

 

 

 

思い返せば、

突然の出来事。

 

 

ぼくが休暇を利用して日本へ一時帰国したのは

年末年始でした。

 

その頃はコロナウィルスもまだ広く認知されておらず、

まさかまた再びこの様な形での帰国になるなど

想像すらしていませんでした。

 

 

コロナウィルスの厳戒態勢が敷かれた空港は、

とても物々しい雰囲気で、

ウィルスという見えない敵に対しての恐怖を感じた瞬間でもありました。

 

 

 

このような緊急帰国だったため、

お世話になったカメルーンの同僚や友達と

直接挨拶する時間はなく、

戸惑いながらの別れとなりました。

 

 

実際カメルーンでは、

日々コロナが拡散してしまっている状況です。

 

3月6日に初めてカメルーンで感染者が確認されました。

それが3月31日時点で193名の感染者に増加。

1ヵ月も経たずして、

爆発的に広まってしまいました。

 

政府はコロナ対策として実施していた、

国境封鎖を含める複数項目をさらに15日間延長する旨を決めたそうです。

 

当然学校も閉鎖で、

今後の見通しが全くわからない状況のようです。

 

 

 

 

しかし、

それは日本も同じでニュースを見て

衝撃を受けました。

 

オリンピックは延期。

学校閉鎖期間が延長されたり、

コロナによる経済ダメージで雇用が減り、

内定取り消しがあると知りました。

 

コロナで苦しむ人々は決して特定の人だけではないため、

著名人の死にフォーカスを当てすぎるメディアに違和感を感じることもありますが、

著名人がコロナにより、

亡くなったことも、

ウィルスの脅威をより一層感じた瞬間ではないのでしょうか。

 

 

 

 

正直カメルーンにいる時は、

アジアの問題として、

どこか人ごとのように捉えていた自分がおり、

ここまでの事態になるなど、

想像もしていませんでした。

 

 

今は1人1人が、

自分の身は自分で守るという強い意志と責任感を持って、

乗り切らなければいけないと強く思います。

 

 

ぼく自身は、

先程言ったように、

14日間は朝晩2回の体温を測り、

体調を毎日JICAに報告しながら、

完全に隔離生活に入ります。

 

カメルーンでも既に1週間以上、

ホテルから外出できない軟禁生活だったため、

決して望んだ隔離生活ではありませんが、

責任を全うしたいと思います。

 

 

早く世界からこの脅威から解放され、

またカメルーンで活動を再開できる日を

願っています。

 

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(ブログは継続します)